遅くなりましたが、23歳で引退を表明したマクシム・コフトゥンのロングインタビュー、後編です。下の広告表紙の羽生とポーズが被っているのは偶然です。
(前)引退の理由/羽生と4A
(後)これからの人生 ← この記事
(前)引退の理由/羽生と4A
(後)これからの人生 ← この記事
マクシム・コフトゥン:別な人生への一歩を恐れる人もいるが、自分はその用意ができている。
エレーナ・ヴァイツェホフスカヤ / R-Sport / 2019/04/23
(つづき)
(つづき)
別な人生への一歩
(さいたまワールド出場を辞退した際に、それについていかなるコメントも出さなかったのはなぜでしょうか。)
そのときは、そういったことすべてを議論するのがあまりにも辛すぎたからです。アスリートの人生には常に何らかの問題があります。ちょっと身体の調子が悪いとか、精神的な問題だとか、怪我をしてしまったり、何か誤解があったり。自分には突然そういったことが全部一度に起こってしまったのです。今はかなり単純になりました。自分のために一定の優先課題を整理して、何をしたいのかという理解に至りました。
(ブヤノワ・コーチは引退をしないよう説得しようとしましたか?)
もちろんです。しかし、エレーナ・ゲルマノヴナ(ブヤノワ)は、私の決断が欧州選手権で負けたことにあるわけではまったくないということを理解してくれたと思います。急に思い立ったことではないということを。実際、この決断をしたときは、かなり楽になりました。というのも、単位自分を騙すのを止めただけ、と言い換えることもできるからです。自分のキャリアがこれ以上どこにも進まないとわかり始めた多くのアスリートにとって、別な人生への一歩を進めるのはとても怖いことです。自分はこれを成熟した決断への恐怖と呼びます。私は恐れていません。逆に、自分にたぶん現れるであろう新たな機会への渇望を感じています。
(これから何をする予定でしょうか?)
いまの優先課題は学業です。体育大学フィギュアスケート理論・方法論科3年ですが、コーチ業に向けて自分を成長させたいと強く思っています。
(いま、「ラップ」という言葉を聴いた方がもしかすると驚きは少なかったかもしれません。)
そういったことはみんな、だいぶ前の過去のことです。かつては音楽を趣味のように捉えていましたが、熱中しすぎました。もうまったく違うものを望んでいます。大きな、面白いことの周りに自分の人生を打ち立てる、真面目な、自分のことは自分でできる、自立した人間に。
(それでも、あなたがコーチになるとは想像できません。)
心配は無用かもしれません。とても真剣に、野望を持っています。というのも、自分の頭の中にこんなに実践的な巨大な百科事典が出来上がっていたのかとは、つい最近までは想像もしていませんでした。私はニコライ・モロゾフやエレーナ・ゲルマノヴナ(ブヤノワ)、そして(タチヤナ)タラソワ、インナ・ゲルマノヴナ・ゴンチャレンコ、そしてアレクセイ・ミーシンにさえ師事していたのです。ただこれまでは誰かに何かを教えるなって課題は自分の前にはなかっただけなのです。最近になってやっと、ジャンプやステップで手助けをするようになりました。特別な日記のようなものを作って、コーチの方法論のアイディアをメモして、卒論の準備をしています。
(おっしゃられた、師事することになったコーチの中で、誰が一番厳しいコーチでしたか?)
たぶん、コーリャ・モロゾフです。自分に対しては、彼は結局、私に対する重要な鍵を見つけられませんでしたが、今となっては、彼自身が考えていたよりもずっと簡単だったのではないかと言えます。しかし、なるようにしかなりませんでした。モロゾフは自分に対しては、ただ時間も意欲も力もなかったのです。
(夏の予定はもう立てていますか?)
7月と8月は、クラスノダールとキスロヴォツクでの合宿で子供たちの指導に呼ばれていて、実践的な経験を積むつもりです。でも、自分のコーチとしてのキャリアを、希望者全員に初級の滑りを教えるだけにとどめたいとは思っていません。結果を求めて指導をして、競技会にも行って世界のレベルにまで出てみたいと思っています。そのために真剣に学んでいるところです。コーチとしてして正式に働けるような修士の資格はありませんが、合宿やマスタークラス、個人レッスンはしてくつもりです。大切なのは、いまは常に直感的に、正しい道の上にいると感じていることです。直感に裏切られたことはほとんどありません。
オリンピックに行けなかった男子
(自分は専制的なコーチになると見ていますか?)
厳しくなることもできます。あまりそうは見えないかもしれませんが怒鳴りつけることもできます。しかし、教え子に怒鳴るのは大切なことではありません。大切なのは、教え子に対する鍵を選ぶ能力です。声を荒げては絶対にいけない選手もいます。そんなことをしたら、「聞き入れる」ことをただやめてしまうのです。もう一つ、振付師としての役割も試してみたいという考えはあります。やったことはありませんが、試してみるのは面白そうだと思います。
忙しくしたいという方向に意識的に向かっています。できる限りすべての方向に向かって成長したい。どのレベルまで成長できるのかはわかりませんが、努力したいと思っています。
(インスタグラムでファンに向けてお別れの言葉を書こうとして、「オリンピックに行けなかった男子」と署名してましたね。)
それはもうだいぶ前から単なる冗談になってしまいました。ソチ・オリンピックに出られなくなった後に、どこかで交通警察に車を止められて、免許証を見せたら、「あ、コフトゥンだ!オリンピックに出られなかったあの?」と言われました。その後も、イワン・ウルガントの番組でまったく同じように紹介されて、定着してしまったのです。
(冗談抜きで、あの経緯は今でも心の中のトゲなのでしょうか。)
もう違います。そう、フィギュアスケートの中での自分の時間というものは去ってしまいましたが、それはかつてはあったもので、そしてそんなに悪いものではなかったということにはご賛同いただけるでしょう。こんな運命が降りかかる選手はそうはいないでしょう。オリンピックで勝っても、その後誰にもまったく必要とされなくなってしまう人だっています。そういったものは、本当に耐えるのが辛いのではないかと思います。私だって文句を言い続けるのはよくないことです。私は以前と同様に専門分野で求められていますし、目標もあり、どのように目標に向かうかの理解もあります。大切なのは、できる限りのことをしつくしたという感覚があることです。ですので、選手のキャリアからはここを軽くして去ることができます。
(選手引退はどの程度あなたの財務状況に影響があるのでしょうか。)
シーズンを通じて財務状況はほとんどゼロに等しかったです。まったくお金を稼いでいなくて、もらい続けていた奨学金では食費くらいしか賄えませんでした。最初の半年間は借金を返すためだけに続けていました。大会に出場しているフィギュアスケーターは、トップの結果を残しているときだけお金をもらえます。私の稼ぎはいま始まったばかりです。
(今、日常生活はどれだけ余裕があるのでしょうか。)
考えずに済むくらいには十分余裕がある、と言えます。住むところがあり、車もあります。しかし、贅沢はできません。贅沢はここ3-4年でだいぶ流れ落ちました。両親に家を立てて、エカテリンブルクから郊外へと引っ越させることを夢見ています。
(約束しているのですか?)
いいえ、ただ自分でそうしたいだけです。
(真面目な計画ですね。それでは、これまでで一番ひどくて説明のつかない浪費は何だったのでしょうか。)
服ですね。トップブランドに限って高いものばかりを買っていた時期があります。信じられないような服とか、発売されたばかりのスニーカーとか…。
(ルイヴィトンのイット・バッグとか。)
そうです!いま、なんでそんなものが必要だったのかと問われたら、答えられません。後になって、お金がまったくなくなったときに全部売りました。というわけで今は、ルイヴィトンのバッグもない男子になりました。しかし、それにはまったく苦しみはありません!
(終)
0 件のコメント:
コメントを投稿