JGPSロシア大会(チェリャビンスク)で優勝しJGPF出場を決めたカミラ・ワリエワのインタビューがありましたので紹介します。
カミラ・ワリエワのインタビュー:子犬と遊ぶのが今の趣味!
TASS / ウラジスラフ・ジュコフ / 2019/9/16
卓上 羽生結弦 2020年 カレンダー
(チェリャビンスクでの素晴らしい演技と、グランプリファイナルへの出場、おめでとうございます。今のご感想は。)
最初の4回転ジャンプをクリーンに跳べたこと、そしてショートをきちんと滑りきれた事が嬉しいです。それから、(フリーでの)後半の転倒後に演技を続けてまとめられたことも嬉しいです。
(ジュニアGPS大会をロシアで開催するのは珍しいことですから、私たちみんなにとって運の良いことでした。他の国の大会では、やはり観客はこんな感じではないでしょう。観客でいっぱいの会場で演技をするのはいかがでしたか?)。
ええ、ここで演技ができたのはとても良かったです。どこか別の国よりもロシアの大会で滑るほうが楽なくらいだと思います。
(こんな積極的な応援は邪魔ではなかったですか?チェリャビンスクでは、観客があまりにも騒がしいこともありましたので。)
いいえ、逆にそれは力を抜かずに集中するのに少し役に立ったと思います。私の場合はなぜかそうでした。
(少しずつスターになりつつあるのを認識されていますか?例えば、土曜日にアリーナに来た観客の大部分は、かなりの部分であなたを見に来たのです。)
いいえ、まだです(笑)
(サインを書いたりしなくてはならなくなりましたか?)
はい。
(エテリ・ゲオルギエヴナ・トゥトベリゼのグループの中で、国際大会で4回転ジャンプを跳び始めたのはあなたが4人目です。クールシュヴェル大会では1回でしたが、チェリャビンスクではすでに2回跳びました。4回転ジャンプはお好きですか?)
もちろんです。
(あなたにとって最適な4回転の回数は。)
たぶん、今はフリーで4Tを2回クリーンに跳びたいとおもっています。それに3Aを加えたいです。
(エテリ・ゲオルギエヴナ(トゥトベリゼ)は大会に来られない場合でも演技はすべて注視していると、SP後におっしゃっていましたね。それで、リンクに入ること自体か、それともコーチが演技後に電話してきてミスについて叱るのか、どちらの方の緊張が大きいですか?)
50:50くらいです(笑)。でも、何よりもまずジャンプについて、どうやってジャンプに入っていくかで緊張します。今は演技自体よりも、ジャンプのエレメンツにより集中しています。
(普通の日の日程はどんな感じか教えて下さい。)
普段は、午前10時にコレオかウォームアップがあります。その後1時間半の氷上練習があって、それから休憩です。その後だいたい3時間が、ジャズのクラスかストレッチがあって、その後また1時間半の氷上練習。それから45分間クールダウンです。
(かなり密な日程ですね。勉強はできていますか?)
はい、毎日1時限通っています。それから週に1度は丸一日です。
(「サンボ-70」の学校に通っているのですか?)
いいえ、まだ一般の学校です。
(先生たちは事情を考慮してくれますか?)
はい、でも一人だけ…。このスケジュールが気に入らない先生がいて、いつも怒っています。彼の授業の時は、もう「ああ…」という感じです。
(クラスメイトは、あなたがもう有名なフィギュアスケート選手であることを知っているのでしょうか?)
最近クラス替えがあって、クラスメイトはあまり知りません。この学校は2年目なのですが、前のクラスでもみんなのこと知っているわけではありませんでした。なので、今はそれについてはわかりません。
(では、趣味については?フィギュアスケート以外では何をするのがお好きですか?)
いまは子犬の世話をしています。それが今の趣味です(笑)。あと、踊るのがとても好きです。自由時間があったら、絵を描くこともあります。でも、画家の才能はあまりないようです。
(エテリ・ゲオルギエヴナ(トゥトベリゼ)はどんな方だと、あなたは見られていますか?)
とても要求の高い人で、必要なときに叱ることも褒めることもできる人です。ちょっと集中していないのに気づくといろいろ言われます。それから、とても背が高くて綺麗です。
(彼女のようになろうと思われますか?)
たとえば、自分に対してより要求を高くしようと頑張っています。それから、コーチのようにいつも着飾って綺麗に見えるようにしたいです。
(フィギュアスケートの世界にどうやって入ったのか教えて下さい。)
3歳半の頃でした。母は私に新体操をやらせたかったのですが、5歳からしか受け入れていないと電話で言われたそうです。それで母はフィギュアスケートの方に電話したら、受け入れは4歳からですが連れてきて見てくださいと言われたそうです。それで、氷を噛んだりせずに練習するなら受け入れますと。
最初の日は、立ち上がっては転んで、泣いていたのですが、次の日に熱が出てしまいました。子供の頃はよく風邪をひいていたので、身体を鍛えるために、1年はフィギュアスケートに通わせようとなりました。
(それはまだカザンにいらっしゃった頃だと思いますが、モスクワにはいつ引っ越したのですか?)
6歳のときです。「モスクヴィチ」で、マリーナ・クドリャフツェワも下で練習を始めました。その後、イーゴリ・リュチコフ、ナタリヤ・ドゥビンスカヤとスタニスラフ・コヴァリョフの指導を受けました。ナタリヤ・ペトロヴナ(ドゥビンスカヤ)の下で3回転ジャンプが跳べるようになりました。その後エテリ・ゲオルギエヴナ(トゥトベリゼ)の下に移りました。
(トゥトベリゼ・グループに移るのを決めたのはなぜでしょうか。)
たぶん、ナタリヤ・ペトロヴナ(ドゥビンスカヤ)が私に教えることはすべて教えきったので、母と一緒に別のコーチの下に移籍しなくてはならないと判断しました。エテリ・ゲオルギエヴナ(トゥトベリゼ)は、新しいことを教えることができるからです。それに加え、このグループでは女子が4回転を跳んでいます。たぶん、それが理由になったのでしょう。
(一番最初の大会を覚えていますか?)
一番最初の大会は4歳のときでした。ステップシーケンスみたいなのを振り付けられたのを覚えています。そこでは3位でした。というのは、スパイラルで足を上げすぎて跳び上がってしまって、転んで魚みたいになったからです。
表彰式には出場者全員が参加したのですが、こんな線が引かれて、ここで立って待つように言われたんです。私たちはまだちっちゃな子供だったので、そこで立ち続けて寒さに震えながら、いつになったら表彰されるのかと待っていました。
(アリーナ・ザギトワは最近、いまは表彰台にこだわらないようにしていると話していました。あなたにとっては、大会で勝つことが原則的に重要なことですか?)。
たぶんそうです。アリーナはもう世界選手権も欧州選手権もロシア選手権も、そしてオリンピックでも優勝しているのですから、たぶん、彼女はもう自分のために滑りたいのだと思います。でも、まだ始めたばかりの選手ですから、どの順位になるかが重要です。
(フィギュアスケートをやめたあとに何をしたいか、考えたことはありますか?)
難しい質問です。精神科医になるための勉強をしたいと思ったこともありました。なぜかそのアイディアがとても気に入っていたのです。それから、ISUのジャッジになりたいと思ったこともあります。いまは職業については考えていません。
(現時点ではどのような課題を自分に課していますか?)
一番重要なのは、プロをクリーンに滑ることです。それができれば、残りはすべて自分からやってきます。
(2022年のオリンピックについては。)
明日がどうなるかもわからないのに、2022年がどうなるかなんてわかりません。もちろん、どんなフィギュアスケート選手だって、オリンピックで勝つことを夢見ています。たぶん、私がスケート靴で立ち上がって最初に言ったのは、「オリンピック金メダリストになりたい」だったでしょう(笑)。それから何も変わっていません。
(終わり)
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