エテリチームで指導をし、プルシェンコ・エンジェルズに移籍したロザノフ・コーチのロング・インタビューがSport24に掲載されていましたので、何回かにわけて紹介します。第3回は、トルソワ、コストルナヤ、自身の移籍劇についてです。
「プルシェンコへの移籍はトルソワの両親が提案した」1年半沈黙していたロザノフ・コーチの率直なインタビュー
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「プルシェンコへの移籍はトルソワの両親が提案」1年半沈黙のロザノフ・コーチが率直に語る
2021/6/2 / Sport24
(続き)
(「クリスタル」ではあなたのことは「陰に留め」、大会には行かせなかったという意見がありますが。)
ばかげたことです。私が入ってから2ヶ月後にはもうダニール・サムソノフとともにロシアカップ第1戦に送られましたし、その後も第2戦、第3戦、第4戦にも行きました。最後の年とその前の年にはエテリ・ゲオルギエヴナにシニアのロシア選手権とジュニア・ロシア選手権に呼ばれました。でも、私は断ったのです。3名の女子について4人のコーチが行くべきではないと思いました。「クリスタル」にはその時期18-20名の選手があり、彼らの指導をしてプロセスの中にいたほうが良かったのです。大会への動向は、その頃の私にとって必要なものではありませんでした。氷上で指導プロセスにいるほうが好きです。私の目標は4回転を教えることです。選手に4回転を指導していると、最初はほぼ回転しきってきて、その後着氷して、そして・・・大会で跳ぶのです。その過程が面白いです。
(そろそろ何か変えなければならないと思ったのはいつですか?)
一昨年のなかごろに、自由航行に放たれたいと思っていることをわかりました。その頃までには多くのことを見てきました。女子が4回転を跳び始めるのを見てきました。選手に多回転ジャンプを習得させるという目標は達成されたと言えます。この先何をすべきなのかわかりませんでした。偉大なコーチになるという目標を立てたことはありませんでした。エテリ・ゲオルギエヴナと仕事をしていたときは、ただすべての年齢の選手のコンテンツの難度を上げたかっただけでした。10歳の選手が4回転トウループを、11歳でトリプルアクセルを、14歳でクワドルッツが跳べるということを見せたかったのです。
(その話を続けて下さい。子どもたちにもたくさんいますから。)
わかりませんが・・・シーズン途中頃、変になって、荷物をまとめて出ていったこともあります。セルゲイ・ドゥダコフに「終わり?出ていくの?」と言われ、「はい、出ていきます」と答えました。けれど、次の日には戻って仕事をしました。シーズンは終わらせて、選手とともに予定していた大会には行って結果を見せなければならないと思ったからです。
危機的とは言いません。ただ、次の目標がなかったのです。これから何がしたいのかを理解する必要がありました。その後ダーニャ・グレイヘンガウスが電話をくれて、サーシャ・トルソワが出ていくと伝えてくれました。ショックでした。出て行きたかったのは私なのに、選手が出ていってしまうのですから(笑)。
サーシャと話したところ、ご両親が出ていくつもりでした。「私たちが移籍を望むようにすべてができあがってきている」と言われました。「どちらへですか?」と訊くと、エフゲニー・プルシェンコと協力を決めたと彼らは言いました。「まあ、わかりました」と言い、まだ考え直す価値はあるかもしれないと助言しました。「性急に決断をしていると思います。サーシャはここでたくさんの新しいエレメンツを習得することができます」と私は言いました。彼女の成功は、彼女がいま指導を受けているコーチ陣全体の功績であると言って。
私の説得に対し、ご両親は「私たちと一緒にあなたもいきませんか、長いことサーシャの指導をして、4回転ジャンプも助けていただいていましたし」と答えました。私はそれを見て「みなさん、私のことは聞いてくれないんですね」と。ご両親は、問題ない、やってみようと言いました。
彼らには、エレーナ・ゲルマノヴナ・ブヤノワに電話してみるよう提案しました。彼女はオリンピック金メダリストのコーチですし、良いスクールだからです。彼女に電話して話してみました。その後、エフゲニー・プルシェンコが私に電話をかけてきて・・・私自身も「クリスタル」を出るつもりでしたので、どちらでもよかったのです。そこで、サーシャに支えてほしい、手伝ってほしいとお願いされました。それにエフゲニーも条件を提示してきました・・・そのとき、自分のグループを率いて選手を指導する事自体が面白く、都合が良いと考えました。
サーシャ自身にも尋ねてみたところ、「エフゲニー・ヴィクトロヴィチ(プルシェンコ)の指導を受けたい」と答えました。
(こういった世論の反応は予想していましたか?あなたが出ていくのにサーシャを連れて行ったとみんな言っていました。)
ええ、予想していました。それについては冷静に見ています。招聘されたので仕事をしただけです。しかも、7月末までの短い間でした。8月にはもうサーシャの指導をしていません。
(その理由が、サーシャがアリョーナ・コストルナヤと同じグループで練習したくなかったというのは本当ですか?)
ええ、実際そうです。私がアリョーナの指導をするので、これ以上私の指導は必要ないと彼らは考えたのです。OK。そのときの目標は、ただ落ち着いて選手の指導をするということでした。
(トルソワとコストルナヤが一緒に練習をしていたとしたら結果はもっと良かったかもしれませんね。)
もしかすると良かったかもしれませんが、もしかしたらそうではなかったかもしれません。そこを追及したくはありません。もっと大きなことができたとは思います。けれど、彼女たちがもとに戻って、「エンジェルス」で求めていた成功を受け取れなかったということは、私にとってニュースとはなりませんでした。
これは、私やジェーニャ・プルシェンコがよく言われているような悪いコーチだということではありません。エテリ・ゲオルギエヴナのもとから去るときは、トゥトベリゼが彼女たちにとって強力なコーチであり、高いレベルに引き上げてくれたコーチであることを彼女たちは理解していませんでした。エテリ・コーチから去ることは、選手にとって自分の一部を失うことなのです。
(つまり、あなたは彼女たちが戻っていったことを普通に受け止めていると。)
ええ、帰ったものは帰ったということです。まったく落ち着いています。私には、いま指導をしている選手たちがいます。その選手たちとともに目標と課題を立てています。急いで先に向かって巨大な計画を建てたくはありません。いまあるもので仕事をしています。
(コストルナヤの「クリスタル」からプルシェンコへの移籍はどのように起きたのでしょうか。)
アリョーナは7月に電話をしてきて、グループに入りたいと言ってきました。私とエフゲニー・ヴィクトロヴィチ(プルシェンコ)のところに移籍したいと。その希望の理由について尋ねたところ、彼女は不満な点について答えました。けれど、これはアリョーナと彼女のコーチ陣との間にとどめておきましょう。
いま、彼女は落ち着いて練習をしています。彼女とサーシャが自分のコーチのもとで練習しているのは良いことです。このまま先へと育ってもらいましょう。
(トゥトベリゼから去る選手がうまくいかないのはなぜだとお考えですか?)
もしかすると、システムに問題があるのかもしれませんし、もしかすると規律に問題があるのかもしれません。エテリ・ゲオルギエヴナ自体が、彼女とのコンタクトが、彼女が練習や大会で与える精神的なものがただ足りないのかもしれません。いずれにせよ、彼女とともにそれら選手はいまそうであるようになったのですから。
(続く)
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