カザフスタンのエリザヴェート・トゥルシンバエワが引退を表明しましたが、エリザヴェートの母親がMatch TVのインタビューに答えていましたので、3-4回に分けて紹介します。この発言が問題となり、エリザヴェートが謝罪する状況になっているようです。
第3回(最終回)は、家族とカザフスタン代表についてです。
トゥルシンバエワ母 - 生まれつきの椎間板の問題、カザフスタン代表となる不適切な決定、そしてコーチに対する誠実な言葉
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生まれつきの椎間板の問題、カザフスタン代表となる不適切な決定、そしてコーチに対する誠実な言葉。「Match TV」がエリザヴェート・トゥルシンバエワの母親と話す。
マリーナ・チェルヌィショワ=メリニク / 2021/9/25 / Match TV
(続き)
「競争がなければ、スポーツとしてのフィギュアスケートはない。世界選手権でのエリザの成功は、トゥトベリゼ・グループの雰囲気のおかげ」
(家族について教えてください。)
私はキルギス生まれで、進学のため16歳でモスクワに来ました。ここで専門学校に入り、その後ゴリャチキン記念農業工業大学で教師になるための勉強をしました。その頃、エンジニア専門が流行っていたのです。毎晩パン工場で働き、27歳まで市場で売り子をしていました。第2の専門はコーチで、これはまったく子供たちのおかげです。チムールとエリザはコーチなしで置かれることが多かったので、私自身でショッピングセンターで二人を滑らせなければなりませんでした。ジャンプを失わないためだけにも。
夫とは1996年に偶然知り合いました。ちょうど大学を卒業したところで、女友達と行こうとして、ボリショイ劇場のオペラ「石の客」のチケットを買ったのですが、彼女が来られなくなったのでそのチケットを売ることにしました。少し早めに地下鉄「クズネツキー・モスト」駅に来ました。余ったチケットをみんな売っているところです。急に若い男性が来て、笑顔で「偶然僕のことをまってたんじゃないかな?」と訊いてきました。彼にチケットを買わないか提案し、二人で劇場に走ってなんとか間に合ってオペラを一緒に見ました。そこで知り合って、それ以来別れていません。1990年代は、夫はカメラ関連商品売買のビジネスをしていましたが、いまはクズルオルダ州(カザフスタン)フィギュアスケート・ショートトラック連盟会長です。彼はもともと法律専門だったのですが、彼も同じ道を進みスポーツ・アカデミーを修了しました。私達家族はみなフィギュアスケート界にいます。最初は息子、その後に娘、そして彼らを追って両親です。子供たちが大好きでその専門を助けよう、模範を示そうと努力しています。隣にいられるよう、同じ分野で働いています。
息子のティムールは怪我のために13歳でやめなければなりませんでした。私は娘と息子をいろいろなスクールに連れて行っていました。具体的な競技に関心を示すまで。ティムールはスポーツマスター称号を取得し、コーチとして働いています。仕事が大好きで、善良な人を育てるために人生を捧げたいと思っています。
(カザフスタンにあなたの歴史的起源がありますが、カザフスタンに住むご親戚について教えて下さい。)
ああ、多すぎて数え切れないくらいです。夫には姉妹2人と、たくさんのいとことのその家族がいます。私は大家族の8番目の子供です。文明化のなされていないキルギスの山村で生まれ育ちました。小学校も3年までしか学べず、その後家から8km離れた学校に通い8年まで終わらせました。こういったことが嫌になり、きちんとした教育を受けてちゃんとした人になりたいと思いました。いまは仕事での出張も含めよくカザフスタンに行っています。エリザは自分の名前が付いた大会もありますし。毎年4月末に開催されます。家族全員でこの大会を行っていて、ティムールは教え子を連れてきます。
(あなたとエリザヴェートは、いわゆる「祖先たちの呼び声」にしたがってカザフスタン代表となることを決断されたのでしょうか。)
そうとも言えます。また、大きな大会への道が加速しますと夫と私には言われました。しかし、どれだけこの決定を後悔したことか!フィギュアスケートのない国を代表することの難しさを予想していませんでした。国際舞台でフィギュアスケート強国と評価されていない国を代表することは、想像してみてください、地獄です。自国のジャンジもテクニカル・コントローラーもおらず、舞台裏での支援も全くありません。何百年もトップを争っている強国では、すべてが勝利のために敷かれています。彼らは山のように選手たちの後ろに立ち、ジャッジと協業しています。孫たちがフィギュアスケート選手になりたいなら、疑いなく、代表するならロシアだけと言うでしょう。自分の過ちを考慮して、そしてカザフスタンでの状況が変わらないならば。とはいえ強調したいのは、これは私個人としての意見だということです。
(3枠への候補者の長大な行列(1つのグループ内だけでも)を怖いとは思いませんか?)
それがちょうど必要なものです。競争がなければ、競技としてのフィギュアスケートはありえません。エリザの世界選手権での成功は、エテリ・ゲオルギエヴナのグループの雰囲気によって成立しました。以前はクリーンに滑っても9-11位でした。ロシア代表に残るべきだったと確信しています。もちろん、そこにはそこの困難がありますが、成功にはもっと早くたどり着けたでしょう。
エリザに対し、私の過ちを謝りもしました。彼女はティーンエージャーで黙って同意したからです。娘がオリンピックのメダルを獲れなかったのは私の責任です。いま、自分の過ちを認め、だいぶ楽に生きられるようになりました。いずれにせよ、長年にわたり娘の演技に資金援助をしてくれたカザフスタン国家オリンピック委員会と、彼女の映画を撮影してくれたヌルスルタン・ナザルバエフ基金に感謝しています。
(いま、カザフスタンでのフィギュアスケートの状況はいかがですか。)
リンクやコーチは多いですが、モスクワとは比べ物になりません。アスタナにはリンクが3つありますが、真剣なレッスンは少ないです。みんな努力はしていますが、レベルはとても低いです。ご理解いただきたいのですが、メンタリティが違うのです。規律と、子供の競技での成長に心を捧げる親が足りないのです。クラブに連れてきて、コーチが魔法をかけて、子供はすぐに金メダリストになると思っているのです。そんなことはありえません。子供を助け、コレオコーチや振付師のもとへ追加レッスンに連れていき、生活条件を整えなければなりません。
中央アジアでエリート的なスポーツは格闘技と空手です。これらには真剣なアプローチがありますが、ウィンタースポーツはそのように受け取られていません。子供たちを叱ると、両親は指導部に文句を言いに行きます。傍から観ると、アジアの子供はみんな従順に見えるかもしれません。ロシアでは、コーチが自分の子供を叱ったら、それを聞いて要求を実行しなければならないと私はいつも言っていました。すべて関係していることであり、あなたのためになるものだから、わがままは許されないと。
(エリザヴェートが世界選手権で銀メダルを授与されたとき、コメンテイターが笑ってカザフスタン女子は3枠と言っていましたが、それだけの女性選手は見つかりそうにないでしょう。)
私自身も驚きですが、いるんです。今年、エリザヴェート・トゥルシンバエワ賞大会の準備をしていたときには、数百の申し込みがありました。それで200名を選びました。おそらく、デニス・テンと私の娘の勝利のおかげでブームが来たのでしょう。多くの子供たちが取組むようになり、3回転ジャンプも跳んでいます。彼らはロシアのコーチのところも含めいろいろな国に出張練習に行っています。それに、カザフスタンにも立派なコーチたちがいます。ただ、大きなスポーツで名を上げるには意志の力が足りません。全国選手権にはたくさんの選手が出場しますが、国際待機に出場できる権利を得る技術点のミニマムが取れません。
(いま、娘さんはいかがお過ごしですか?将来のご予定は。)
エリザはMGIMO(国立モスクワ国政関係大学)の国際ジャーナリズム科で学んでいます。1年通ったところでオリンピックのための休学をしていました。いまは競技を終えたので、学業に戻るでしょう。彼女は対面で学んでおり、大学はとても気に入っています。それに加え、スポーツ・アカデミーにも入学しました。いまはたくさん働いています。カザフスタンで子供たちを指導していて、もうすぐ自身の名前を冠したアイス・アカデミーを開き、国のフィギュアスケートのレベルを上げる予定です。自分の趣味にも時間を割いています。バイオリンとピアノを演奏し、歌を歌い、詩を書いています。招待されて、コンディションが良ければ、休暇にはショーでちょっと滑ることも計画しています。
エリザには、毎日のことを考えるようアドバイスしています。「普通の女の子に戻って、映画を見に行ったり、もっと友だちと会ってただただ休みなさい!」と。これだけの年月を苦労してきたのだから、それに値するのです。遠い将来を予想するのはやめておきます。大切なのは、彼女の心に調和があることです。彼女はスポーツで自己実現をし、記録を打ち立て、フィギュアスケートの歴史に名を刻んだのですから。
(終わり)
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