今季引退を表明したポリーナ・ツルスカヤのロングインタビューがR-Sportに掲載されていましたので、4回に分けて紹介します。第3回です。
ツルスカヤ:引退するけれど、スケートをする機会をなくすわけではない
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ポリーナ・ツルスカヤ:引退するけれど、スケートをする機会をなくすわけではない
エレーナ・ヴァイツェホフスカヤ / 2019/5/31 / R-Sport
(続き)
スケート靴だけを履いて、裸で
(今後の専門について、1年前にロシア舞台芸術アカデミーに入学したマーシャ・ソツコワのようにコレオではなく、国際経済という選択をされたのですか?)
私とマーシャは、人生という意味においても、気性という意味においても、まったく違う人間です。たぶん、そうだからとても仲良くしているのでしょう、専門的なアスリートとしてはおかしいかもしれませんが。性格がまったく反対であることが、お互いを強く近づけてくれます。マーシャはとてもクリエイティブな人ですが、私はいつでも「数学的」でした。学校でも、授業で求められる本を自分に読ませるのが大変でした。いまは本を読むのもかなり増えましたが、数字や数式のほうがいつだってより魅力的でした。それで、ちょうど必要であるのは国際経済だと考えたのです。これを学ぶのは、とてもおもしろいものになると思います。
(モスクワではなく、ヨーロッパで勉強したいとうかがっていましたが、考え直したことになるのでしょうか。)
いいえ、もう来年から海外で学業を続けたいと計画しています。単に今年は間に合わなかっただけです。ヨーロッパの大学で勉強するためには、事前に書類を提出していろいろな形式を整えなければなりませんでした。それでいま、モスクワで勉強を始めることにしたのです。この選んだ専門が自分にとってどれだけ面白いのか、プロセスにどれだけ深く入り込めるのかを理解するために、1年というのは十分な期間です。しかし、学士はロシアのではなく海外で取りたいと考えています。加えて、完全に外国語を習得する機会にもなります。
(将来の人生で、フィギュアスケートからまったく手を引くおつもりですか?)
引退はしますが、何らかのショーに出演する可能性を自分から奪うわけではありません。ただ、自分がそれを望んでいるかはわかりません。私にとってこれも難しいテーマです。というのも、両親は私の決断を受け入れてはくれましたが、納得したわけではありません。長年にわたって人生を構成してきたすべてのことをどうやったら辞めることができるのかと、実際には理解していません。それが普通だと思います。引退を考え始めた多くのフィギュアスケーターは、リンクやフィギュアスケートのない人生は想像もできないと繰り返すのが好きです。フィギュアスケートは人生のすべてではなく、滑ること以外にはまったく何もできないという思いを持ちながら街に裸で立つ瞬間が早かれ遅かれ訪れる可能性があると思うのが大切だと、私には思えます。私はそんな風にはなりたくありません。自分にあるのはスケートだけで、それは自分の人生すべての意義であると思えたときもありましたが。
(モスクワには家族全員がいっぺんに引っ越されてきたのでしょうか?)
いいえ、最初両親は、私と一緒に、長年一緒に住んでいて子供の頃から育ててくれたとても近しい乳母を送り出しました。その後父が、そして1年位してからやっと母が来ました。オムスクで事業に関連するすべてのことを終わらせるのに時間がかかったのです。
(ユリヤ・リプニツカヤのお母様は、自身で娘のための指導者を見つけて意図的にトゥトベリゼのためにモスクワへ来たとおっしゃっていましたが、あなたはどうだったのでしょうか。)
私が11歳のとき、コーチとの問題が起こって練習を辞めようとしていました。そのとき私は滑りたくない、勉強したいと初めて言いました。しかしその後、偶然の連鎖が続いたのです。極東シベリア地域のフィギュアスケートは、そのときアレクサンドル・イリイチ・コガン(ロシア・フィギュアスケート連盟理事長)が担当していたのですが、彼が私の母に対して、私をモスクワに送るよう提案したのです。そして、そのときにはもうリプニツカヤが練習をしていたトゥトベリゼのグループが提案されました。私はフィギュアスケート好きではまったくありませんでしたが、両親をがっかりさせたくありませんでした。それで、モスクワに来たのです。そのときは、欧州選手権や世界選手権、オリンピック以外に大会があるとか、そういったものすべてが自分に関わってくるなんてまったく知りませんでした。
(専門的にスポーツをしたことのない人が、自分の子供を偉大なフィギュアスケーターにしたいというこれだけの熱い想いをどこから持てるのでしょうか。)
正直に言うと、今でもわかりません。母はまだとても心配しています。いずれにせよ、フィギュアスケートが私たち家族の人生すべてを変えました。私の引退して勉強したいという願いに対して、母は最初とても落ち着いて対応していましたが、それは心の奥では私が長くは持たずに自分でリンクに走っていくだろうと確信していたからではないかと、時々思うことがあります。その実験は失敗しました。私は勉強に真剣に熱中することになり、それについて後悔していません。
(続く)
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