今季引退を表明したポリーナ・ツルスカヤのロングインタビューがR-Sportに掲載されていましたので、4回に分けて紹介します。最終回の第4回です。
ツルスカヤ:引退するけれど、スケートをする機会をなくすわけではない
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(続き)
記念の血豆と衣装
(ショーに出演する可能性をお考えですか?)
わかりません。引退すると決めたときには、ヨーロッパで長期のショーにでるという可能性もありました。しかし、この件についてタチヤナ・アナトリエヴナ・タラソワと相談したところ、そんなに楽な生活ではないと説明してくれました。ショーは、常に長時間にわたる移動、バスでの移動、時には1日に2-3回の出演があり、これは数ヶ月続くのです。一方、私には腰の問題があります。それで、どれだけ熱意があろうとも、同意する前に100回考え直す必要があります。こういったものすべてを秤にかけて、ショーは私にとってあまり魅力的ではないと理解しました。もし本当にスケート靴が恋しくなりはじめたら、おそらく、今もちょっとだけ初心者の子どもたちを教えているのですが、指導をすると思います。自由な時間がかなり増えましたから。
(指導は、好きだからされているのでしょうか、それとも単なるお金稼ぎにすぎないのでしょうか。)
今の私にとって、いくばくかのお金を稼ぐためにできるただ一つの手段でしたので、初心者の指導を最初は始めました。しかし、ずっと絶対にコーチにはならない、人生すべてを懸けることはできないと思っていましたが、すぐに指導が好きになりました。ですが、面白いですけれども、それ以上ではありません。
(競技会を今後も見るつもりですか?)
昨年全体を通じて、見たのは本当に応援しているスケーターの演技だけでした。あまり多くはありません。マーシャ・ソツコワ、ジェーニャ・メドヴェデワ、アーネチカ・シチェルバコワ、アリョーナ・コストルナヤ・・・交流があって仲良くしていた選手ばかりです。アリーナ・ザギトワが世界選手権で演技をまとめて優勝したことはとても嬉しかったのですが、演技自体は見ていません。同じように、自分の演技を見直すのもあまり好きではありませんでした。ミスを確認するために演技の直後に見直すくらいです。
実際、フィギュアスケートが人生の中で何らかの失われた時間であると思っているとは言えません。私の人生の中でのこの短い期間を通じて、私のそばにいてくれた人たちみんなにとても感謝しています。あまりにも大きな経験ですし、自分と自分の生活を整える能力が身につきました。私の人生にスケートがなければ、おそらくこんなに責任感をもった几帳面な人間にはならなかったでしょう。重要なものに集中することを学ぶこともなかったでしょう。というのも、スポーツは、自分が何を欲しているのか、そしてそれをどうやって達成するのかをまず理解することを教えてくれるからです。これは将来の計画や目標、そして自分が求めているものすべてにどうやってたどり着くかについてのはっきりとした理解という意味で、私を助けてくれるといまは信じています。最初のコーチから始まり、私の人生の中にいたすべての人は、なにか与えてくれましたし、教えてくれました。
フィギュアスケーターとなれたその基礎は、すでにオムスクにいるときに敷かれ、その後それはエテリ・ゲオルギエヴナ(トゥトベリゼ)とそのチーム全体がさらに伸ばしてくれました。彼女たちが私を本当に高いレベルのフィギュアスケーターにまで導いてくれました。エレーナ・ゲルマノヴナ(ブヤノワ)は、私を引き受けることを恐れず、キャリアの中で必ずしも簡単ではない時期の私を支えてくれました。こんなに問題の多い選手を落ち着いて断ることもできたのに。彼女のおかげでたくさんの新しいことを知り、学ぶことができ、人生に対するまったく異なった態度を身につけることができました。タチヤナ・アナトリエヴナ(タラソワ)は、傑出した指導者であるだけでなく、それ以前に大きな心を持っている方で、以前と同様にどんなときでも電話して助言や助けを求めたりできます。こういった視点から自分のキャリアを見るならば、運が良かったというもの以外の何物でもありません。まさにこういったすべての方々が、いまこうである私にしてくれたのです。
(おそらく、いまは合宿に行かなくて良いとか、靴を慣らさなくて良いとか、かなり楽になったはずですね。)
靴についてはほとんど問題になったことがありませんでした。一度だけ、なぜかモリス・クヴィテラシヴィリと一緒に別な靴に帰ることにしたときがありましたが、それはもうひどかったです。堅く、重く、まったくジャンプが跳べませんでした。2週間で、歩けなくなるほど足から血が出るまで擦れてしまいました。障害があるような滑りしかできませんでした。それで実験を始めて1ヶ月後にはまたエデアに戻しました。
(演技の際の衣装についてはどうされるのでしょうか。)
家に吊るしてあります。衣装についてはいまのところ何の計画もないですし、今後も計画が出てくることもないでしょう。ですので、嵐のような青春の記憶として、衣装はとっておきます。
(終)
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