今季引退を表明したポリーナ・ツルスカヤのロングインタビューがR-Sportに掲載されていましたので、4回に分けて紹介します。第2回です。
ツルスカヤ:引退するけれど、スケートをする機会をなくすわけではない
(2)スケートと学業の両立 ← この記事
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(続き)
(そういったとき、自分を裏切り者だと感じたことはありませんか?これだけの人たちが長年にわたってあなたに自分の体力を注ぎ込んできて、しかもそれはどこかの物理数学部に入学するためではまったくなく、すべてスケートの結果だけのためにやってきたのですから。)
いえ、物理数学部ではありません。国際経済です。これについてはもう自分の決断をしました。そのときは辛く、少し怖くもありました。試験前に、母は一緒に1週間旅行に行こうと説得しかけました。私はどこにも行きたくなかったし、勉強から離れたくなかったのです。そのことで少しの間喧嘩さえもしていました。でもその後、試験が終わってから結局数日一緒にパリに行きました。しかも、コーチには知らせもしないで。おそらくそのときにはもう、物事がどこに向かっているのかについてわかっていたのではないでしょうか。今後の計画についてブヤノワとタラソワと話し合ったとき、勉強をしたいと正直に言いました。そのとき、エレーナ・ゲルマノヴナ(ブヤノワ)はひどく驚いていました。というのも、結果のことではなく、学業について考えることは、スケーターにとってありふれたことではないからです。ただそのときは、すべてをうまく両立できると感じていました。
(同い年の子が読んでいるような本を読んでいなかったり、劇場や展覧会に通っていなかったり、もしかすると、スケートに関係のないテーマで話を続けられるわけではなかったりすることに、被害感を感じたりしたことはありますか?)
いいえ。理由は、最近の生徒はあたかも教育を否定しているところにあると感じています。毎日学校に通って教科書を読むのには飽き飽きしていて、まわりにはたくさんのあらゆる誘惑あがあり、すべて試してみたいのです。
(あまり勉強してこなかったとしたら、どこからそれを理解されたのでしょうか。)
とはいえ学校には通っていましたし、しかも普通の学校です。テストをすべて受けて、レポートを書き、他の子と同じように宿題を全部やっていました。専門的にスケートをしていることを特に吹聴したことはまったくありませんが、あるとき学校に来たら、みんながなにか変な感じに私を見ていることに気づきました。どこかの大会での私の演技についてのニュースを誰かが見て、それが一瞬にして学校全体に広がったことがわかりました。その後、私がどんなふうに暮らしているのかについて聞かれるようになりました。多くの子は実際に理解できていないようでした。毎日が分刻みでスケジュールされていて、どうやって生きていけるのかと。もちろん、いろいろな国に行くのはいうまでもなく面白いことです。しかし、そのために普通の生活を犠牲にするのは、みんなできることではまったくないことがわかりました。
その後、「サンボ-70」の通常学校へと転校しましたが、そこでも完全な教育が受けられるようなすべての機会がありました。エテリ・ゲオルギエヴナ(トゥトベリゼ)の下で練習してたときは、彼女は自身の教え子たちに、劇場にもバレエにも通うことを常に奨励していました。フィギュアスケーターは自分の内的世界を満たす必要があり、本を読み、氷上で興味をもたせ続けるためには全体として多方面に発達した人となる必要があると言っていました。スケーターはみんな違っているのはもちろんです。例えば、アーニャ・シチェルバコワは「サンボ-70」の学校ではありませんでしたが、ご両親はどちらもモスクワ国立大学出身で、勉強に問題が起こらないよう注意深く見守っています。長いこと仲良くしていて、何度か旅行にも一緒に行ったことがあるので知っていました。
(現在、ロシアの女子シングルはこれまでにない盛り上がりを見せています。その中で一番でなければならないという思いはどれくらいありましたか?)
負けたことによって自分が悪いとか自分に意味がないと感じることは、まったくありませんでした。もちろん、いつも結果に対する責任は意識下に感じていました。自分の後ろには、連盟や国に対してまったく同じように結果に対への責任を負うコーチたちがいるのですから。でき得る限りのすべてを自分に入れ込み、心配してくれている両親に対しても責任があります。こんなことはもちろん誰も口にはしませんが。
(しかし、頭の中にはそういった思いがあったと。)
もちろんです。自分に対する責任でもありますから。努力をして、自分を乗り越えて、とてもたくさんのものを犠牲にしてきましたが、いったいそれは何のためでしょうか?出場して負けるためでしょうか?大きな結果がないのではれば、そういったものはすべてなんのためだったのでしょうか?どんな職業でも、真剣に取り組むなら、人生とはこういう風にできていると思います。
(続く)
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