ずっと昔のブログのコピーばかりで新ブログを埋めるのもどうかと思い、読んでみたかったツルスカヤのロングインタを訳してみました。全3回の予定です。
ポリーナ・ツルスカヤ:すぐに何かを変える必要があるとわかっていた
(1)結果を出すための犠牲 ← この記事
(2)腰は一生もの
(3)1シーズンに15cm
https://rsport.ria.ru/interview/20180828/1140930235.html
練習はかなりより個人主義になりました。以前のグループでは、みんなが常に何か大会のような、競争の中で進んでいました。つまり、氷上で誰か一人がやっているのを見て、自分でそれに追いつこうとする、ということです。CSKAでは、コーチ陣は、一人一人個別に練習できる機会を持てるように、スケーター全員を分けようとしています。ジャンプやスケーティングを別に詰めて、滑りの振り付けの部分はまた別に。競争の中の練習は、正直に言うと、あまり好きではありませんでした。私にはあまり向いていません。
(それは論理的ですね。同じような小さな女子が同じ練習をするのと、あなたのように、スケーターが、身長や体格が一般的な女子とは大きく違っている場合は違いますよね。それだけでも、あなたにとっては問題になったはずです。)
そのとおり、問題でした。それに加えて、私は怪我もありました。コーチ陣は私の状況にある程度注意を払おうとしてくれていて、どこかで負荷を減らしたり、自分の思うとおりに練習するのを許したりしてくれましたが、常にグループの中にいると、他の人より遅れたくないと思ってしまいます。止まらなくてはいけないと頭ではわかっていても、いつもそれがうまくいくとは限りません。ですので、怪我が悪化し続けたのは、私自身が悪かったこともあります。怪我の後にリンクに戻って、みんなが練習していて良い状態にあって、ジャンプも跳んでいるのを見ると、自分自身で焦り始めて、自分を追い詰めてしまいます。その結果、いつまでもたっても最後まで怪我を治しきることができず、そんなことがすべて積もっていって、雪だるまのように膨れ上がったのです。
(2016年の世界ジュニア選手権に出られなくなった原因の怪我は、どのように起こったのでしょうか?)
その大会には良いコンディションで迎えていました。グランプリシリーズ2大会とファイナル、ロシア・ジュニア選手権で優勝し、シニアのロシア選手権でも4位でした。しかし、世界ジュニア選手権に出発するまさに5日前に、床でウォームアップしているときに脚をひどく痛めてしまいました。靭帯を痛めたのです。脚が強く腫れて、数日間は滑ることさえもできませんでした。そのときコーチ陣は、デブレツェンに行く価値自体があるのかどうかと疑い、リンクの幹部と一緒に私に尋ねました。私が滑る用意があるのなら、出場しようという風に。そうでなければ棄権しようと。しかし、大会に向けて準備をしてきて、コンディションも良く、それまではシーズンを通じて1位か2位に留まってきたときに、出場を拒否するのはとてもつらいことです。それで、我慢すると言いました。ショート前の練習ではいつもどおりにすべてジャンプを跳びましたが、着氷があまりうまく行かなかったものが2回あって、その後、歩くこともほとんどできないというのがわかりました。それで棄権せざるを得なかったのです。
(つづく)
ポリーナ・ツルスカヤ:すぐに何かを変える必要があるとわかっていた
(1)結果を出すための犠牲 ← この記事
(2)腰は一生もの
(3)1シーズンに15cm
ポリーナ・ツルスカヤ:すぐに何かを変える必要があるとわかっていた
2018/8/28 / エレーナ・ヴァイツェホフスカヤ / R-Sporthttps://rsport.ria.ru/interview/20180828/1140930235.html
結果を出すための犠牲
(ブヤノワ・コーチへの移籍後のコメントで、自分にとってまったく新しい練習プロセスへのアプローチに直面したとおっしゃってました。もし秘密でなければ、それはどういうことでしょうか。)練習はかなりより個人主義になりました。以前のグループでは、みんなが常に何か大会のような、競争の中で進んでいました。つまり、氷上で誰か一人がやっているのを見て、自分でそれに追いつこうとする、ということです。CSKAでは、コーチ陣は、一人一人個別に練習できる機会を持てるように、スケーター全員を分けようとしています。ジャンプやスケーティングを別に詰めて、滑りの振り付けの部分はまた別に。競争の中の練習は、正直に言うと、あまり好きではありませんでした。私にはあまり向いていません。
(それは論理的ですね。同じような小さな女子が同じ練習をするのと、あなたのように、スケーターが、身長や体格が一般的な女子とは大きく違っている場合は違いますよね。それだけでも、あなたにとっては問題になったはずです。)
そのとおり、問題でした。それに加えて、私は怪我もありました。コーチ陣は私の状況にある程度注意を払おうとしてくれていて、どこかで負荷を減らしたり、自分の思うとおりに練習するのを許したりしてくれましたが、常にグループの中にいると、他の人より遅れたくないと思ってしまいます。止まらなくてはいけないと頭ではわかっていても、いつもそれがうまくいくとは限りません。ですので、怪我が悪化し続けたのは、私自身が悪かったこともあります。怪我の後にリンクに戻って、みんなが練習していて良い状態にあって、ジャンプも跳んでいるのを見ると、自分自身で焦り始めて、自分を追い詰めてしまいます。その結果、いつまでもたっても最後まで怪我を治しきることができず、そんなことがすべて積もっていって、雪だるまのように膨れ上がったのです。
(2016年の世界ジュニア選手権に出られなくなった原因の怪我は、どのように起こったのでしょうか?)
その大会には良いコンディションで迎えていました。グランプリシリーズ2大会とファイナル、ロシア・ジュニア選手権で優勝し、シニアのロシア選手権でも4位でした。しかし、世界ジュニア選手権に出発するまさに5日前に、床でウォームアップしているときに脚をひどく痛めてしまいました。靭帯を痛めたのです。脚が強く腫れて、数日間は滑ることさえもできませんでした。そのときコーチ陣は、デブレツェンに行く価値自体があるのかどうかと疑い、リンクの幹部と一緒に私に尋ねました。私が滑る用意があるのなら、出場しようという風に。そうでなければ棄権しようと。しかし、大会に向けて準備をしてきて、コンディションも良く、それまではシーズンを通じて1位か2位に留まってきたときに、出場を拒否するのはとてもつらいことです。それで、我慢すると言いました。ショート前の練習ではいつもどおりにすべてジャンプを跳びましたが、着氷があまりうまく行かなかったものが2回あって、その後、歩くこともほとんどできないというのがわかりました。それで棄権せざるを得なかったのです。
(つづく)
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