ミハイル・コリャダのロングインタビュー、第4回です。
(2)アルチュニアンとジャンプ
(3)チェンのオーラ
(4)コリャダと国別対抗戦 ← この記事
(5)カルメンとスケーター
https://rsport.ria.ru/figure_skating/20180909/1141520478.html
(つづき)
今でも思い出すのが本当に辛いです。その演技のあと、あたかも自分がフェンスのそばに立っていて、現実のように自分の目の前で自分の投影を見ていて、それが機関銃ですぐそばから自分を撃ち殺そうとしているような感覚がありました。その演技からまる一日、何も食べたいとも思わなかったし、寝たいとも、誰かに会いたいとも思えませんでした。選手村の自分の部屋に戻り、ベッドに横になって、まったく何も考えずに横たわっていました。ただ、何もかもがひどかったということだけ。
自分にとってこの体験は大きな衝撃となりました。平昌に来るまでは、オリンピックとは何なのか、だいたいわかってるつもりでしたし、オリンピックが実際どんなものかなんて疑ってもいませんでした。結果に対する責任感が、どれだけスケーターにとってもプレッシャーになるかなんて。オリンピックで一番大切なのは、そういったプレッシャーに屈しないことを覚えることだと理解しました。
(主なライバルたちがみなひどいミスをした後で、なぜあなたがショートプログラムの難易度を落とさなかったのか、平昌で長いことわかろうと努めていました。なぜクワドルッツやクワドトウループを捨てなかったのか。3回転ジャンプで演技を終わらせる素晴らしいチャンスがありました。最高の結果でなかったとしても、上はパトリック・チャンとネイサン・チェンだけだという。一つだけ説明を見つけました。あまりに精神的にがんじがらめになっていたため、判断をする能力がただどこかに行ってしまったと。)
そういったことが本当に私の身に起こったのです。
(その状態からどうやって抜け出したのでしょうか。)
友人や親戚、近しい人たちがとても力強く助けてくれました。最初のショックが過ぎ去ってから、次の日は丸一日ばかみたいに電話に取り付いていました。電話をかけてもらったり、自分から電話をかけたり。人生でこんなに辛かったのは一度もありませんでした。身体は疲れてさえもいませんでしたが、精神的には完全に殺されてしまったようで、一番ひどい精神的ショックを経験しました。こんなことはもう誰も経験しないようにと祈ります。
(世界選手権後のインタビューを読みましたが、正直に言うと、8位となったオリンピックの個人戦や、ミラノワールドでの銅メダルに対するあなたの態度に驚きました。ワールドでは優勝するチャンスもあったわけです。何か投げやりな印象が重なりました。もっと良い結果であり得たけれども、いずれにせよこれで十分だと。すべてが素晴らしく、すべてが良かったと。実際にこのように結果を受け止めていたのでしょうか?)
おそらく、平昌の国別対抗戦の体験があまりにも強すぎて、精神的な力が全く残っていなかっただけだということです。残りはすべて、オリンピックの個人戦も世界選手権も、かなり抑制的に受け止めていました。なるようになるしかないと。
(つづく)
ミハイル・コリャダ:平昌で経験したショック
(1)ランビエールとステップ(2)アルチュニアンとジャンプ
(3)チェンのオーラ
(4)コリャダと国別対抗戦 ← この記事
(5)カルメンとスケーター
ミハイル・コリャダ:平昌で経験したショック
2018/9/10 / エレーナ・ヴァイツェホフスカヤ / R-Sporthttps://rsport.ria.ru/figure_skating/20180909/1141520478.html
(つづき)
コリャダと国別対抗戦
(あなたにとって一番痛いテーマである、平昌オリンピック国越対抗戦のショートプログラムの話題に移りたいと思います。)今でも思い出すのが本当に辛いです。その演技のあと、あたかも自分がフェンスのそばに立っていて、現実のように自分の目の前で自分の投影を見ていて、それが機関銃ですぐそばから自分を撃ち殺そうとしているような感覚がありました。その演技からまる一日、何も食べたいとも思わなかったし、寝たいとも、誰かに会いたいとも思えませんでした。選手村の自分の部屋に戻り、ベッドに横になって、まったく何も考えずに横たわっていました。ただ、何もかもがひどかったということだけ。
自分にとってこの体験は大きな衝撃となりました。平昌に来るまでは、オリンピックとは何なのか、だいたいわかってるつもりでしたし、オリンピックが実際どんなものかなんて疑ってもいませんでした。結果に対する責任感が、どれだけスケーターにとってもプレッシャーになるかなんて。オリンピックで一番大切なのは、そういったプレッシャーに屈しないことを覚えることだと理解しました。
(主なライバルたちがみなひどいミスをした後で、なぜあなたがショートプログラムの難易度を落とさなかったのか、平昌で長いことわかろうと努めていました。なぜクワドルッツやクワドトウループを捨てなかったのか。3回転ジャンプで演技を終わらせる素晴らしいチャンスがありました。最高の結果でなかったとしても、上はパトリック・チャンとネイサン・チェンだけだという。一つだけ説明を見つけました。あまりに精神的にがんじがらめになっていたため、判断をする能力がただどこかに行ってしまったと。)
そういったことが本当に私の身に起こったのです。
(その状態からどうやって抜け出したのでしょうか。)
友人や親戚、近しい人たちがとても力強く助けてくれました。最初のショックが過ぎ去ってから、次の日は丸一日ばかみたいに電話に取り付いていました。電話をかけてもらったり、自分から電話をかけたり。人生でこんなに辛かったのは一度もありませんでした。身体は疲れてさえもいませんでしたが、精神的には完全に殺されてしまったようで、一番ひどい精神的ショックを経験しました。こんなことはもう誰も経験しないようにと祈ります。
(世界選手権後のインタビューを読みましたが、正直に言うと、8位となったオリンピックの個人戦や、ミラノワールドでの銅メダルに対するあなたの態度に驚きました。ワールドでは優勝するチャンスもあったわけです。何か投げやりな印象が重なりました。もっと良い結果であり得たけれども、いずれにせよこれで十分だと。すべてが素晴らしく、すべてが良かったと。実際にこのように結果を受け止めていたのでしょうか?)
おそらく、平昌の国別対抗戦の体験があまりにも強すぎて、精神的な力が全く残っていなかっただけだということです。残りはすべて、オリンピックの個人戦も世界選手権も、かなり抑制的に受け止めていました。なるようになるしかないと。
(つづく)
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