ラジオノワのロングインタビュー、第2回です。
(つづき)
エレーナ・ラジオノワ:フィギュアスケートは人生の意義であり、滑ることを辞める準備はできていない
(2)平昌五輪のザギトワとメドヴェデワ ← この記事
エレーナ・ラジオノワ:フィギュアスケートは人生の意義であり、滑ることを辞める準備はできていない
2018/8/30 / エレーナ・ヴァイツェホフスカヤ / R-Sport
(つづき)
結果の表の数字
(平昌オリンピックにはどんな印象を持ちましたか?)
正直に言えば、特になんの感情もありませんでした。
(シングルでアリーナ・ザギトワが優勝したことにはまったく驚かなかったと?)
彼女が勝つだろうなと思っていました。シーズン当初からわかっていたことだと思います。ジェーニャ(メドヴェデワ)は怪我でひどく腰を折られました。アリーナは、シーズン当初はショートプログラムをクリーンに滑ることができませんでしたが、ジェーニャと一緒に出た大会ではとても良い滑りをしていました。おそらく、直接的な対決で強くモチベーションが上がったのでしょう。もちろん、メドヴェデワには名声があり、より経験あるスケーターですが、オリンピックでは通常、予期していない人たちが優勝するものです。
(メドヴェデワがシニアに登場し、あなたが彼女と競い始めたころの感覚を覚えていますか?)
2016年のブラチスラバでの欧州選手権を覚えています。そこでジェーニャは私に勝ちました。そのとき、とても悔しかったです:ジェーニャはダブルアクセルで転倒したのに、私は両プログラムともクリーンに滑って2位でだったのです。でも、そういった状況でジャッジや他の誰かを責めたことはありません。そのときも自分を責めました。もちろん、2度めの欧州選手権で2度めの銀メダルというのは気分が良いものではありません。2015年のストックホルム大会では、リーザ・トゥクタムィシェワとの差は1点以下で、ブラチスラバでもすべてが無駄になってしまったのです。もう一方で、ジェーニャは何よりもまず安定性で自身の評価を得ていたこともわかっています。とはいえ、オリンピックシーズンに彼女はなんとか力を集中させて復活できたことに対して、大きなリスペクトです。とはいえ、それでも平昌ではアリーナがより自信を持っているように見えました。
(オリンピックでメドヴェデワの最後の演技を見たときにどう思われましたか?)
彼女がどんな気持ちか、よくわかりました。これだけの強い感情、涙がなんのためかがわかっていました。それに、これは二重の意味でつらいことです。一生で一番重要な大会で、同じグループで練習している人が勝つのです。アリーナを見ながら、自分のことを思い出しました。まるでお祭りのようだったでしょう。ワオ、まさか私がこんな人達と同じリンクで演技するの?と。頭が真っ白になるというわけではないけれど、頭の中に何の疑問もありません。何かうまくいかなくても、初めてなんだから恐れることはない、ということをわかっています。私には時々、アリーナは自分がオリンピックで演技をしていると最後までわからなかったんじゃないかとさえ思えることもあります。ジェーニャはまったく違います。精神的にもはるかに大変でしたでしょうし、責任という重しに強く圧迫されていました。
(現世界女王のケイトリン・オズモンドはどれだけ危険なライバルだと思われますか?)
非常に敬意を持っています。彼女は素晴らしいです。彼女もすぐにすべてがうまく行ったわけではなく、たいへんな怪我もありました。しかし彼女は戦い抜いて、その結果、いま世界では他にどんな女子スケーターも持っていない地位すべてを持つようになったのです。世界選手権もオリンピックでも勝ったのです。
(チーム戦と個人戦で、オリンピックのメダルは別なものと思いますか?)
チーム戦についてはいろいろな意見があると思いますが、私は、答えはいつも結果の表にあると思います。そこに書いてあることは、すでに私たちのスポーツの歴史であり、そこからは何も消すことはできません。結局、大会中ずっと補欠のベンチに座り続けた人も、タイトルを獲ることができるスポーツもあるのです。
(つづく)
0 件のコメント:
コメントを投稿