テストスケート時のミハイル・コリャダのロングインタビューを、たぶん5回に分けてお伝えします。
(2)アルチュニアンとジャンプ
(3)チェンのオーラ
(4)コリャダと国別対抗戦
(5)カルメンとスケーター
https://rsport.ria.ru/figure_skating/20180909/1141520478.html
それは、夏にはシャンメリーのステファンのところだけでなく、アメリカのラファエル・アルチュニアンのところにも行く予定だったからです。それに加え、大学院の修了論文試験もまだでした。昨年はスイスにチームの振付師であるオリガ・クリュシニチェンコと一緒に行きましたが、今年は、コーチのワレンチナ・チェボタリョワとスタニスラワ・コンスタンチノワと一緒に隊をなして行きました。この構成でアルチュニアンのところにも行きました。ワレンチン・ミハイロヴナ(チェボタリョワ)は、この2人がどんな仕事をしているのかずっと見たいと言っていたので、これも嬉しい限りでした。一番天才の専門家でさえ、すべてを知ることはできません。つねに学び、どこかで何かを見つめて、自分のために気づきを得なくてはいけません。
(かつてユリヤ・リプニツカヤは、ステファンが氷上であまりに情熱的に即興で作っていることにショックを受けたと告白していました。)
それはそのとおりで、そういった時もあります。しかし、彼との仕事はもう2回めですから、そういった仕事のスタイルに準備ができていました。実際、とても面白いのです。なぜなら、ランビエールは次には見せたステップを全然違う形にしてしまうこともあると知りつつも、彼が何をどのように見せたのかを覚えようと努力するのは、本当に記憶力を良くしてくれます。でも、ユーリャには完全に賛成です。ステファンが「ステップ」をやっているときは、他とは違ったアトラクションですね。
(ステファンが振り付けをしたプログラムは、どのくらい滑りやすいのでしょうか。)
滑り慣れるのにかなり長いことかかるのもあります。ステファン自身も、このつなぎは最初のうちはやりづらいと警告するときもあります。重要なのは、ステファンはすべてを自分に合わせようとしているわけではないことです。すべての動きを、滑りやすく、美しく、そして外から見て最大限に有利になるように振付をしています。ランビエールはいつも最初は大まかな「設計図」を滑ります。その後に大きなエレメンツであるジャンプやスピンを散らします。その後になってやっと、プログラムがよく見えるだけでなく、「流れる」ようにするために、全部をつなげはじめて、ステップで包み込もうとするのです。ランビエールとの振付は、彼はいつもスケート靴を履いて隣りにいるというだけでも、とても心地よいものです。
(チェボタリョワはスケート靴を履いていないのですか?)
今はもうそうです。私がまだ若い頃はリンクに入っていました。コーチのブーツにブレードを取り付けてたこともあったと覚えています。自分のに取り付けるときに、ついでにコーチのも。
(アルチュニアンのところに行くアイディアはいつ出てきたのでしょうか。)
オリンピックの後です。アルチュニアン自身が提案してきました。
(あなたにですか?それともコーチにですか?)
私にです。ある日、リンクから同じバスで帰ってくることがあって、そのときに彼が提案してくれました。それで喜んですぐに同意しました。ワレンチナ・ミハイロヴナ(チェボタリョワ)も良いアイディアだと言ってくれて、それで行くことになりました。わからないことが多く怖くないのかと言われましたが、そんな気持ちはありませんでした。逆に、アメリカでスケーターがどのように練習していて、どう生活して、休みをとっているのかを見るのはとても面白かったです。つまり、文字通りすべてがということです。2週間ですべてを感じ取るのはとても難しいことだとはわかっていますが、少しはできたと思います。
(一番強い印象を残したのは何でしょうか。)
夜、寝ようとしていたときに外で銃撃がありました。メキシコ人街のモーテルに滞在していたのですが、そこで始まったのです。朝には警察も来ていました。
(ホテルは自分で探したのですか?)
はい。最初はベッドルームが3つある一軒家を借りたかったのですが。そういったものは見つけられませんでした。そのためモーテルに泊まらざるをえませんでした。もっと高いホテルは単に払えなかったのです。
(つづく)
ミハイル・コリャダ:平昌で経験したショック
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(5)カルメンとスケーター
ミハイル・コリャダ:平昌で経験したショック
2018/9/10 / エレーナ・ヴァイツェホフスカヤ / R-Sporthttps://rsport.ria.ru/figure_skating/20180909/1141520478.html
ランビエールと「ステップ」
(昨年、あなたは初めてステファン・ランビエールと夏に仕事をされましたが、彼のところにはもっと長く行く予定だったとうかがっています。どうしてそうならなかったのでしょうか。)それは、夏にはシャンメリーのステファンのところだけでなく、アメリカのラファエル・アルチュニアンのところにも行く予定だったからです。それに加え、大学院の修了論文試験もまだでした。昨年はスイスにチームの振付師であるオリガ・クリュシニチェンコと一緒に行きましたが、今年は、コーチのワレンチナ・チェボタリョワとスタニスラワ・コンスタンチノワと一緒に隊をなして行きました。この構成でアルチュニアンのところにも行きました。ワレンチン・ミハイロヴナ(チェボタリョワ)は、この2人がどんな仕事をしているのかずっと見たいと言っていたので、これも嬉しい限りでした。一番天才の専門家でさえ、すべてを知ることはできません。つねに学び、どこかで何かを見つめて、自分のために気づきを得なくてはいけません。
(かつてユリヤ・リプニツカヤは、ステファンが氷上であまりに情熱的に即興で作っていることにショックを受けたと告白していました。)
それはそのとおりで、そういった時もあります。しかし、彼との仕事はもう2回めですから、そういった仕事のスタイルに準備ができていました。実際、とても面白いのです。なぜなら、ランビエールは次には見せたステップを全然違う形にしてしまうこともあると知りつつも、彼が何をどのように見せたのかを覚えようと努力するのは、本当に記憶力を良くしてくれます。でも、ユーリャには完全に賛成です。ステファンが「ステップ」をやっているときは、他とは違ったアトラクションですね。
(ステファンが振り付けをしたプログラムは、どのくらい滑りやすいのでしょうか。)
滑り慣れるのにかなり長いことかかるのもあります。ステファン自身も、このつなぎは最初のうちはやりづらいと警告するときもあります。重要なのは、ステファンはすべてを自分に合わせようとしているわけではないことです。すべての動きを、滑りやすく、美しく、そして外から見て最大限に有利になるように振付をしています。ランビエールはいつも最初は大まかな「設計図」を滑ります。その後に大きなエレメンツであるジャンプやスピンを散らします。その後になってやっと、プログラムがよく見えるだけでなく、「流れる」ようにするために、全部をつなげはじめて、ステップで包み込もうとするのです。ランビエールとの振付は、彼はいつもスケート靴を履いて隣りにいるというだけでも、とても心地よいものです。
(チェボタリョワはスケート靴を履いていないのですか?)
今はもうそうです。私がまだ若い頃はリンクに入っていました。コーチのブーツにブレードを取り付けてたこともあったと覚えています。自分のに取り付けるときに、ついでにコーチのも。
(アルチュニアンのところに行くアイディアはいつ出てきたのでしょうか。)
オリンピックの後です。アルチュニアン自身が提案してきました。
(あなたにですか?それともコーチにですか?)
私にです。ある日、リンクから同じバスで帰ってくることがあって、そのときに彼が提案してくれました。それで喜んですぐに同意しました。ワレンチナ・ミハイロヴナ(チェボタリョワ)も良いアイディアだと言ってくれて、それで行くことになりました。わからないことが多く怖くないのかと言われましたが、そんな気持ちはありませんでした。逆に、アメリカでスケーターがどのように練習していて、どう生活して、休みをとっているのかを見るのはとても面白かったです。つまり、文字通りすべてがということです。2週間ですべてを感じ取るのはとても難しいことだとはわかっていますが、少しはできたと思います。
(一番強い印象を残したのは何でしょうか。)
夜、寝ようとしていたときに外で銃撃がありました。メキシコ人街のモーテルに滞在していたのですが、そこで始まったのです。朝には警察も来ていました。
(ホテルは自分で探したのですか?)
はい。最初はベッドルームが3つある一軒家を借りたかったのですが。そういったものは見つけられませんでした。そのためモーテルに泊まらざるをえませんでした。もっと高いホテルは単に払えなかったのです。
(つづく)
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