ちょっと前の5月の記事ですが、羽生に関するロシアの紹介記事がありましたので前後編で紹介します。
地球外出身の日本人、羽生結弦はいかに世界を魅了したか
(前)記録とクワドアクセル
(後)ファンと武士道 ← この記事
※追記
パレードに集まった人数は2千人ではなくて20万人でした(当然ですね)。修正しました。
(個人的感想)
今回の後編では、中国杯でのハンヤンとの衝突について書かれていますが、そのときは私は現地観戦していました。幸いなことに衝突の瞬間は見ていない(目の前にいたコフトゥンのクワドサルコウに歓喜していた)のですが、あのあとの経緯はよく覚えています。個人的には「安静にしてて!」という気持ちでしたし、今でもそうです(たぶん、今なら出場にはドクターストップが掛かるのではないでしょうか?)。
9/18発売 羽生結弦 2020-2021フィギュアスケートシーズンカレンダー 壁掛け版
アナスタシヤ・パニナ / match tv / 2020/5/26
(続き)
羽生結弦に対するファンの愛は、ときには狂気に似ている。ポップスターへの偏愛や、神への愛、預言者の崇拝のようである。
大会参加者リストに羽生の名前があることで、カナダやヨーロッパのどんな寂しい場所でも、日本人の海外旅行の中心地になる。彼らはリンクの客席数に応じ数百人から時には数千人単位で訪問し、そして地元住民はあらゆるところで、羽生結弦の長年にわたるシンボルである黄色のふかふかしたくまのプーさんを見ることになる。
日本のレディのプーさんペンダント、プーさんのぬいぐるみ、スーツケースのプーさんシールに沿って、絵本の点線のように、アイスアリーナからオフィシャルホテルまでのルートを敷くことができる。ケロウナでも、トリノでも、ブラチスラバでも、どこにいてもそうだ。
くまのプーさんへの愛の理由についての確実な情報はファンコミュニティからは聞けなかったが、一つ、ロマンティックな説がある。地震に怯えた小さな頃のユズ(かれの故郷である仙台では地震は珍しいものではなく、2011年の地震では羽生が練習するリンクが壊れてしまった)に、両親がふかふかしたくまのプーさんをプレゼントしたという。ぬいぐるみは最高のともだちとなり、おとなになり、大会ではディズニーのくまの形でティッシュケースとして登場したという。
それ以来、羽生結弦といえばくまのプーさんばかりを連想するようになり、この2度のオリンピック王者の英語のあとはいつも、ファンが何千ものプーさんのぬいぐるみをリンクに投げ入れているのである。
ファンたち自身も、喜んでその身をリンクへと投げ入れてもよいのだろうが、そうなるとフラワーチルドレンは次の選手の演技が始まるまでにリンクをきれいにはできないだろう。
結弦のあとの滑走順を引くこと以上にひどいことはないという意見もフィギュアスケーターの中にはある。時には5分かけても拾いきることができない、氷上にあふれるくまたちのことではない。ただ、羽生のあとに出て滑ることは、この半神半人との比較の照準に合ってしまうことを意味するからだ。そして、この比較は、ジャンプの難度でも、他のすべてのエレメンツの質でも、表現面でも、ほとんど常に羽生側となるだろう。
しかし、この日本人選手には勝ち目がないとは全然言えない。もちろん、羽生が2010年からトップレベルで滑っていることを考慮すると、そんなことは言えるはずもない。彼のキャリアには失敗やミスもあり、たくさんの怪我もあり、戦で金メダルを譲ったのは一つどころではない。しかし、遠く離れると、羽生のサムライ的な本質がこれ以上ないくらいよく見える。
日本文化には、いわゆる武士道というサムライの規範がある。この武士道が、本物のサムライに、公平と勇気、礼儀と名誉、新年と自己管理という資質を与えている。
心の底からぞっとするが、羽生結弦の勇気の一例となったのは、2014/2015シーズンのグランプリ中国大会での事件である。フリー前の6分間練習で、羽生は全速で滑っている中で中国のハンヤンと衝突したのだ。両選手はバックで速度を上げていて、お互いが見えていなかった。衝突はあまりにも強く、ハンヤンはその場に舞い上がり、羽生は脇へと飛ばされ、全身が氷に叩きつけられた。羽生は1分ほど立ち上がれず、それだけでなく切れた顎から血が筋となって流れ、額も傷付いているのが見えた。氷上の羽生に医師が駆け寄ったが、羽生は控室に他者の支えなく去って行った。
ハンヤンも羽生結弦も棄権するだろうと皆が確信していた。ハンヤンも見た目では顎が切れただけであったがひどい状態だった。
しかし、二人とも棄権せず、10分後に順番に出て演技をした。ファンたちは、テレビの前でも観客席でも、恐怖と感動に死にそうになりながら、脳震盪を起こしたばかりの選手たちがジャンプし、滑り、スピンをしようとするのを見ていた。
羽生結弦はその演技で5回転倒した。しかし、予定構成をほぼすべてやり遂げ、それにオリンピック王者という評判もあり、ジャッジは彼に対しかなり高い評価をした。ジャッジは理解できる。頭に包帯を巻き、顎の血もきれいに拭き取られていない、死にそうな青白い子供の顔をした青年が、暗いところで安静に寝ていなければならないのに、考えられないような形で自分の脚と内耳の前庭器官を従わせているのを見れば、その英雄に十分な報奨を与えたいと思うだろう。
このとき、このような評価をすることで、ジャッジはあたかも選手が氷上で死に、誰も必要としていない功績を残すことを奨励しているのではないかという、たくさんの議論があった。羽生は、奨励すべきではなく、罰を与えるべきであると。そのように考える人は、大会の放映権販売とテレビ視聴率獲得のメカニズムをまったくわかっていないに違いない。
例えば、エージェントのアリ・ザカリャンは、羽生に対してはすべてのスポーツ・ビジネスマンが祈りを捧げているとはっきりと述べている。彼が出るというだけで、どんな大会やショーでも一瞬にして売り切れになり、彼の引退は、今日のフィギュアスケート観戦の主要市場である日本でのフィギュアスケート人気に強く影響するものとなる。
みんなにとって幸せなことに、羽生結弦は今のところ引退については話していない。2020年モントリオール世界選手権ではクワドアクセルを見ることはできなかったが、この先、歴史的記録にふさわしい都市はたくさんあるだろうし、それにコロナウイルスのパンデミックもいつかは終わるだろう。
Youtube上では、羽生結弦がまだ子供だった頃の演技をたくさん見つけることができる。仙台の10歳の男の子は、その柔軟性と、ジャンプから降りるたびに猫のように氷に吸い付く能力で目立っていた。ただ、技術的に最難のプログラム遂行を可能にする滑りの力強さと速さ、耐久力は、年齢と練習とともに彼に身についたものだ。
羽生結弦の故郷では、オリンピック優勝記念パレードが2度開催された。あこがれの選手に感動を表そうと、合計でおよそ2千人20万人が集まった。羽生は、日本風の、地面まで届くような伝統的なおじぎでファンに応えていた。
(終わり)
地球外出身の日本人、羽生結弦はいかに世界を魅了したか
(前)記録とクワドアクセル
(後)ファンと武士道 ← この記事
※追記
パレードに集まった人数は2千人ではなくて20万人でした(当然ですね)。修正しました。
(個人的感想)
今回の後編では、中国杯でのハンヤンとの衝突について書かれていますが、そのときは私は現地観戦していました。幸いなことに衝突の瞬間は見ていない(目の前にいたコフトゥンのクワドサルコウに歓喜していた)のですが、あのあとの経緯はよく覚えています。個人的には「安静にしてて!」という気持ちでしたし、今でもそうです(たぶん、今なら出場にはドクターストップが掛かるのではないでしょうか?)。
9/18発売 羽生結弦 2020-2021フィギュアスケートシーズンカレンダー 壁掛け版
地球外出身の日本人、羽生結弦はいかに世界を魅了したか
https://matchtv.ru/figure-skating/matchtvnews_NI1193477_Japonec_vnezemnogo_proiskhozhdenija_Chem_pokoril_mir_Judzuru_Khanuアナスタシヤ・パニナ / match tv / 2020/5/26
(続き)
羽生結弦に対するファンの愛は、ときには狂気に似ている。ポップスターへの偏愛や、神への愛、預言者の崇拝のようである。
大会参加者リストに羽生の名前があることで、カナダやヨーロッパのどんな寂しい場所でも、日本人の海外旅行の中心地になる。彼らはリンクの客席数に応じ数百人から時には数千人単位で訪問し、そして地元住民はあらゆるところで、羽生結弦の長年にわたるシンボルである黄色のふかふかしたくまのプーさんを見ることになる。
日本のレディのプーさんペンダント、プーさんのぬいぐるみ、スーツケースのプーさんシールに沿って、絵本の点線のように、アイスアリーナからオフィシャルホテルまでのルートを敷くことができる。ケロウナでも、トリノでも、ブラチスラバでも、どこにいてもそうだ。
くまのプーさんへの愛の理由についての確実な情報はファンコミュニティからは聞けなかったが、一つ、ロマンティックな説がある。地震に怯えた小さな頃のユズ(かれの故郷である仙台では地震は珍しいものではなく、2011年の地震では羽生が練習するリンクが壊れてしまった)に、両親がふかふかしたくまのプーさんをプレゼントしたという。ぬいぐるみは最高のともだちとなり、おとなになり、大会ではディズニーのくまの形でティッシュケースとして登場したという。
それ以来、羽生結弦といえばくまのプーさんばかりを連想するようになり、この2度のオリンピック王者の英語のあとはいつも、ファンが何千ものプーさんのぬいぐるみをリンクに投げ入れているのである。
ファンたち自身も、喜んでその身をリンクへと投げ入れてもよいのだろうが、そうなるとフラワーチルドレンは次の選手の演技が始まるまでにリンクをきれいにはできないだろう。
結弦のあとの滑走順を引くこと以上にひどいことはないという意見もフィギュアスケーターの中にはある。時には5分かけても拾いきることができない、氷上にあふれるくまたちのことではない。ただ、羽生のあとに出て滑ることは、この半神半人との比較の照準に合ってしまうことを意味するからだ。そして、この比較は、ジャンプの難度でも、他のすべてのエレメンツの質でも、表現面でも、ほとんど常に羽生側となるだろう。
しかし、この日本人選手には勝ち目がないとは全然言えない。もちろん、羽生が2010年からトップレベルで滑っていることを考慮すると、そんなことは言えるはずもない。彼のキャリアには失敗やミスもあり、たくさんの怪我もあり、戦で金メダルを譲ったのは一つどころではない。しかし、遠く離れると、羽生のサムライ的な本質がこれ以上ないくらいよく見える。
日本文化には、いわゆる武士道というサムライの規範がある。この武士道が、本物のサムライに、公平と勇気、礼儀と名誉、新年と自己管理という資質を与えている。
心の底からぞっとするが、羽生結弦の勇気の一例となったのは、2014/2015シーズンのグランプリ中国大会での事件である。フリー前の6分間練習で、羽生は全速で滑っている中で中国のハンヤンと衝突したのだ。両選手はバックで速度を上げていて、お互いが見えていなかった。衝突はあまりにも強く、ハンヤンはその場に舞い上がり、羽生は脇へと飛ばされ、全身が氷に叩きつけられた。羽生は1分ほど立ち上がれず、それだけでなく切れた顎から血が筋となって流れ、額も傷付いているのが見えた。氷上の羽生に医師が駆け寄ったが、羽生は控室に他者の支えなく去って行った。
ハンヤンも羽生結弦も棄権するだろうと皆が確信していた。ハンヤンも見た目では顎が切れただけであったがひどい状態だった。
しかし、二人とも棄権せず、10分後に順番に出て演技をした。ファンたちは、テレビの前でも観客席でも、恐怖と感動に死にそうになりながら、脳震盪を起こしたばかりの選手たちがジャンプし、滑り、スピンをしようとするのを見ていた。
羽生結弦はその演技で5回転倒した。しかし、予定構成をほぼすべてやり遂げ、それにオリンピック王者という評判もあり、ジャッジは彼に対しかなり高い評価をした。ジャッジは理解できる。頭に包帯を巻き、顎の血もきれいに拭き取られていない、死にそうな青白い子供の顔をした青年が、暗いところで安静に寝ていなければならないのに、考えられないような形で自分の脚と内耳の前庭器官を従わせているのを見れば、その英雄に十分な報奨を与えたいと思うだろう。
このとき、このような評価をすることで、ジャッジはあたかも選手が氷上で死に、誰も必要としていない功績を残すことを奨励しているのではないかという、たくさんの議論があった。羽生は、奨励すべきではなく、罰を与えるべきであると。そのように考える人は、大会の放映権販売とテレビ視聴率獲得のメカニズムをまったくわかっていないに違いない。
例えば、エージェントのアリ・ザカリャンは、羽生に対してはすべてのスポーツ・ビジネスマンが祈りを捧げているとはっきりと述べている。彼が出るというだけで、どんな大会やショーでも一瞬にして売り切れになり、彼の引退は、今日のフィギュアスケート観戦の主要市場である日本でのフィギュアスケート人気に強く影響するものとなる。
みんなにとって幸せなことに、羽生結弦は今のところ引退については話していない。2020年モントリオール世界選手権ではクワドアクセルを見ることはできなかったが、この先、歴史的記録にふさわしい都市はたくさんあるだろうし、それにコロナウイルスのパンデミックもいつかは終わるだろう。
Youtube上では、羽生結弦がまだ子供だった頃の演技をたくさん見つけることができる。仙台の10歳の男の子は、その柔軟性と、ジャンプから降りるたびに猫のように氷に吸い付く能力で目立っていた。ただ、技術的に最難のプログラム遂行を可能にする滑りの力強さと速さ、耐久力は、年齢と練習とともに彼に身についたものだ。
羽生結弦の故郷では、オリンピック優勝記念パレードが2度開催された。あこがれの選手に感動を表そうと、合計でおよそ
(終わり)
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