「エテリの実際はまったく違う」-トゥトベリゼの元教え子、アドニエフ・コーチのインタビュー
(4)トルソワの指導とポゴリラヤのプロ ← この記事
KISS & CRY 氷上の美しき勇者たち 2019-2020シーズン総括・不屈の魂号〜Road to GOLD!!! (表紙・巻頭特集/宇野昌磨選手)
「エテリの実際はまったく違う」-トゥトベリゼの元教え子、アドニエフ・コーチのインタビュー
エリヴィラ・オンダル / 2020/7/14 / Gazeta.ru
(続き)
トゥトベリゼ・グループに戻らないのは、批判を恐れているから
(今年5月、トゥトベリゼがアメリカにいたときに、彼女を支持する長い投稿をされましたね。彼女はロシアに戻る便を待っているだけだと。そのときは、彼女と連絡を積極的にとっていて、彼女の人生の多くの出来事をご存知のように思われましたが。)
彼女とはメッセージを時々やり取りしています。私から何か書いて送って、彼女が答えてくれますが、たまにです。ですので、いつも連絡を取っているとは言えません。ただ、そのことを知っていただけです。未確認情報ではありませんし、何についても嘘は付きません。
彼女はアメリカにいる娘のところに行ったことは知ってました。まったく正しいことだと思います。
(そのときに、振付師のアレクセイ・ジェレズニャコフに対し「感謝の教訓」について感謝を表していました。グループから去るときは美しくあるべきということでしょうか。)
もちろんです。まさにこのことが、私が理解できないことです。ジェーニャ・メドヴェデワはいったいどうしてコーチに何も言わずに去ることができたのでしょうか?彼女らに何があったのか詳細は知りませんし、知りたくもありませんが、子供の頃からのコーチなんですよ!車両に花いっぱいつめて持ってきてもよいくらいです。あんなふうに去るのはよくありません。大変かもしれないけれど、あとになって議論されたり責められたりしないためにも、美しいピリオドを打つべきです。
(あなたがトゥトベリゼの下を去りアイスダンスに転向したときはそういったお別れをしたのでしょうか?)
私たちは別れていませんので…そういうことです(笑)。去りたくありませんでした。その後も仲良くしていて、連絡も取り合っていました。妹や母もエテリと親しくしていました。
アイスダンスをやめてクリスタルに寄ったときに、「エテリ・ゲオルギエヴナ、我慢できません、ジャンプさせてください」と言って、「いいわ、やりなさい」と言われたこともあります。
その頃、音楽の制作も始めていて、作った音楽で彼女が自分の選手に振り付けてくれたりして、とても嬉しかったです。
(なぜトゥトベリゼの下をまた去ったのですか?もうコーチとしてですが。)
去りたくはなかったのですが、2014年10月にそうせざるを得ませんでした。母が重病になってしまったからです。すべて問題がなければ、いまでもエテリ・ゲオルギエヴナと仕事をしていたでしょう。
(その後戻ろうとしなかったのですか?)
なぜでしょう?もうダーニャ・グレイヘンガウスが仕事をしていますし。
彼らは人気が出ました。私もプライドがあります。いま戻ったら、「もう出来上がったところに戻ってきた」と言われるでしょう。出来上がったところに戻る人間ではありません。「クリスタル」でたくさんのことをしました。
いまはSNSから距離を置いています。見たら全部読んでしまうからです。私の(トゥトベリゼの米国からの帰国の)投稿に対し、馬鹿げたコメントが2件ほどありました。しかも、プルシェンコについてです。彼のことなんてまったく書いていないのに、なぜ彼のことなのか、まったく理解できません。
ええ、トルソワはプルシェンコの下に移籍しましたが、それは彼女の問題です。その状況についてまったく文句を言ってはいません。彼女は移籍してもよいでしょうが、ただコーチにはありがとうというべきです。まさにエテリが彼女にすべてを教え込んで、それをもってエヴゲニー(プルシェンコ)の下に移籍したのですから。トルソワの才能は、まさにトゥトベリゼが開花させたと思います。
(4回転の才能ですか?)
サーシャ(トルソワ)は、恐怖心がないというところでまったく違っています。何度かレッスンをしたことがありますが、彼女はまったく何も恐れないと言えます。そしてもちろん、サーシャがフィギュアスケートを前に動かしたのですが、エテリ・ゲオルギエヴナがいなければ誰もそんなことはできなかったでしょう。正直な話です。トゥトベリゼは止まりません、彼女に不可能はありません。
(トルソワの指導をしたのは、彼女がトゥトベリゼの下に来る前にアンナ・ツァリョーワのグループで練習していたころでしょうか。)
そのとおりです。
(その時は4回転の話はあったのでしょうか。)
いえ、もちろんありませんでした。すべてはエテリ・グループに入ってからです。
ポゴリラヤのためにモロゾフのプロをほぼ全て作り直した
(トゥトベリゼ・グループを去ったのち、同じリンクのアンナ・ツァリョーワのグループで仕事を始められましたが。)
はい。それまでも彼女の教え子の個人指導はしていましたが、小さな子どもだけでした。エテリ・ゲオルギエヴナが、ライバルの指導はする必要ないといつも言っていて、それをよく理解していました。
その後、エテリの下を去った後、そこでの仕事を増やしました。とはいえ、ツァリョーワのグループに所属していたわけではなく、補完的に手伝っていただけです。母と多くの時間を過ごしていたので。母の治療のためにお金を稼ぐ必要があったのです。
(とはいえ、グループの中の重要人物の一人となり、世界選手権のアンナ・ポゴリラヤに同行されましたね。)
ええ、アーニャ(ポゴリラヤ)がそのとき、「ヴィクトルが横にいると落ち着く」と言ってくれたので。実際、ポジティブな人間なので、競技会で選手を落ち着かせるのは得意で、選手はそれを感じ取らずにはいられません。
しかもその時期は、ツァリョーワの下でベラルーシの男子であるパヴェル・イグナテンコを指導していたので、運良くベラルーシからボストン・ワールドの入場許可をもらえたのです。
それでワールドには行きましたが、自費でした。そのとき、多くの人が、なぜアドニエフがワールドにいるのかと不思議に思ったことでしょう。選手一人にはコーチ一人でなければなりませんでした。しかし、私はすべて自費でした。
ただ、大会ではアーニャのキス・アンド・クライに座ることは認められませんでした。悔しかったです。
とはいえ、彼女は素晴らしい滑りをして銅メダルを獲得しましたし、私の意見では2位になるはずだったと思います。アシュリー・ワグナーのフリーはあまりよい演技ではありませんでしたので、どうやってもアーニャの上を行くはずはありませんでした。しかし事件はアメリカで怒っていたので、理解はできます。
(最終的に彼女とキス・アンド・クライで一緒になれたのはいつでしょうか?)
彼女が3位になったとわかったあとでした。
(大会でポゴリラヤの支援をしていた以外にはどんなことをしていましたか?)
プログラムの振付に多くの時間を割いていました。彼女の振付師は正式にはニコライ・モロゾフとされていましたが、プロがあまりにスカスカだったので、ほぼ作り直しをせざるを得ませんでした。
モロゾフは素晴らしいステップシークエンスを振り付けましたが、残りはすべてあたかもまるで何もないかのようでした。つなぎは足りず、腕の動きはまったくなかったのです。結果として、多くのものを変えました。振付師のどこにもヴィクトル・アドニエフの名前がないことが悔しかったくらいです。
一方、ミーシャ・ジーが振り付けたプログラムは素晴らしかったです。彼はタンゴを振り付けましたが、すべてが素晴らしい出来でした。私はまったく何も触っておらず、ただ研磨しただけでした。
また、ポゴリラヤのエキシはすべて振付けをしていました。例えば、2018/19シーズン前にショー向けに「フリーダ」を振付けました。その後、この曲をフリーにすることが決定されました。とてもおもしろいプロだったのですが、ポゴリラヤが引退してみなさんに見てもらえなかったのは残念です。
いまも仕事と現在の教え子たちに専念しています。もちろん有名ではない選手たちです。ロシア代表チームからは外れていますが、いまは落ち着いて仕事をしたいので、代表チームでの仕事は望んでいません。
ロシア代表というのは責任が重く、自由もプライベートな生活もありません。
朝から晩まで教え子の指導を義務付けられます。もちろん好きな仕事ですし素晴らしいことですが、競技以外にも人生では他に何かあるべきです。とはいえ、言うまでもなく素晴らしい時間でした。
(続く)
0 件のコメント:
コメントを投稿