R-Sportにラジオノワのロング・インタビューが掲載されていたので紹介します。長いので4回くらいに分ける予定です。
エレーナ・ラジオノワ:フィギュアスケートは人生の意義であり、滑ることを辞める準備はできていない
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エレーナ・ラジオノワ:フィギュアスケートは人生の意義であり、滑ることを辞める準備はできていない
2018/8/30 / エレーナ・ヴァイツェホフスカヤ / R-Sport
脚で描く
(スケーターは、シーズン前のインタビューでは新プロについてだけでなく、新しいスケート靴の慣らしがどれだけ長く大変だったかをよく話します。あなたは夏の練習中にこれを克服しなければならなかったのでしょうか。)
私もスケート靴は変えましたが、普段はそのプロセスは多かれ少なかれ落ち着いています。シーズン間のおやすみに休暇から戻って、デニス・テンのショーの準備を始めて、練習が始まる前に並行して新しい靴を慣らしました。最初の合宿では、まだ最後まで慣らしが終わっていないという感じはありましたが、練習の邪魔になることはありませんでした。
(夏の練習はたいへんでしたか?)
今年は大変でした。精神的にも、身体的にも。練習プロセスに入り込むのがとても楽ではありませんでした。休憩時間も長くなりました。
(昨年12月の大切な大会(注:ロシア選手権)で、代表に選ばれなかったため、自身の将来についてたくさん考えることがあったとうかがっています。スケートを続けることにした理由はなんでしょうか。)
たぶん、フィギュアスケートが大好きだからです。自分の可能性すべてをまだまだ実現させていない、まだメダルをすべて獲っていないとよく思います。それをするためには、つまり、過去にあったことをすべて忘れて、ゼロになり、すべきことすべてを新たに始める必要があるのです。もちろん、全部忘れるなんてことはできませんが、いくつかの点を見直すのはおそらく価値があることです。
(ミスを繰り返さないように?)
何かひどいミスをしたとは言えません。例えば昨シーズンはありませんでした。すべてのことが練習では問題なく、整然としていました。しかし演技のときには、何か説明できないことが起こり始めたのです。例えば、ロシア選手権でのループの転倒とか。ロシア選手権前はループやフリップのコンビネーションを跳んでいました。今でも、大会の数日前になってなぜ急に脚がこれという理由もなく腫れたのか、理解できません。ループのときにエッジがなぜ溝にはまったのかも。
(なぜ、1年前のようにシェイリーン・ボーンのところにプログラムの振付に行かなかったのですか?シェイリーンは100%あなたに合っていると思っている人も多いです。)
実際そうだと思います。シェイリーンのところに行くととを考え、それをする余裕があるかどうかを計算しました。しかしその後、エレーナ・ゲルマノヴナ(ブヤノワ)とイメージと可能性のすべてについて相談して、今シーズンはロシアでプログラムの振り付けをすることに決めました。結果として、両プログラムとも振付はピョートル・チェルヌィショフになりましたが、率直に言うと、この出来にとても満足しています。ショートプログラムはエイミー・ワインハウスの「You Know I'm No Good」です。フリーはCinema Paradisoから同名の曲です。つまり、2つのプログラムは全く違うものです。これまでにもすでにチェルヌィショフはエキシナンバーを振り付けてくれましたが、彼の振り付けのやり方は大好きです。ピョートルはまるで脚で描いてくれるようなのです。フィギュアスケートでは、こういった瞬間があります:進んでいて、自分にとって都合の良い方向にターンをする。チェルヌィショフは反対に、そっちには脚は全然行かないように最初は思えるようなステップを振り付けてくれます。もう恐怖だったのを覚えています。このプログラムを滑り切るのは、一生ありえないと思えたのです。でも、なんとかできるようになりました。そして、すべてを滑り込めば、とても面白い変奏曲ができあがるとわかりました。
(夏の間にグループが大きくなり、グループの中にマーシャ・ソツコワだけでなくポリーナ・ツルスカヤも現れたことで不快なことはありませんか?)
フィギュアスケートはやはり、陸上のように距離をより速く走りきった人が勝つという競技ではありません。自分のネジを巻くために女子が滑るのを見ることも時々ありますが、普段は周りで起こっていることはすべて私にとってあまり重要ではありません。自分に集中し、自分を動かすことの方がはるかに重要です。大切なのは、コーチとコンタクトをすることです。
(つづく)
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