新型コロナウイルス感染しロシア選手権2021の出場を取りやめたドミトリー・アリエフのインタビューがオリンピック・チャンネル(ロシア語版)に掲載されていたので、前後編で紹介します。前編は怪我とコロナの今シーズンについてです。
ドミトリー・アリエフ:心が開けっぴろげだとコントロールはゼロ
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ドミトリー・アリエフ:心が開けっぴろげだとコントロールはゼロ
タチヤナ・フレイド / オリンピックチャンネル / 2021/2/1
(今シーズンは、はっきりいえば辛いシーズンですね。まず、股関節の怪我があり、その後病気に。)
今シーズンは本当に大変で、対照的なシーズンだと言えます。怪我の後にコンディションを整えて、問題はありませんでした。10月にソチでのロシアカップに出場して、この後にグランプリとロシア選手権があるとわかっていました。そのロシア選手権の前に、Covidという形での停滞です。それでとても苦しみました。夏に怪我をして、ドイツに行きそこで注射を射ちました。復帰するという信念と希望がありました。調子を上げているときに2度めの道の踏み外しがあり、雪崩を打って下へと投げ飛ばされることは、受け入れるのが難しいことです。全く予想がつかないことですから。しかし、その後それでもなんとか自分を抑えようとしました。休止期間をまっとうし、病気の間は家にずっといて、その後ロシア選手権の合宿に向かいました。大会の4日前になって、大会に出る準備が間に合わないことがわかりました。大会に行ってどうなるかを見てみるなんてしたくありませんでした。最高の場所を目指して戦いたいし、そのためには十分なコンディションであるべきだとわかっていました。病気のために準備ができていないからといって大会を棄権したのは、人生で初めてのことでした。けれど、お正月にウフタの実家で休んでからは楽になりました。スキーで走ったり、ホッケーをしたりとずっとアクティブな休暇でした。実家でちょっと切り替えたかったのです。それがうまく行って、力強い充電ができました。いまは通常の日程が進められるよう頑張っています。
(グランプリ大会直後に病気になったのですか?)
はい、5日後くらいにそれを感じるようになりました。グランプリ大会後のバンケットで感染した人もいるとか、多くのことが言われていましたが、私は出席していませんでした。先に帰っていたので。もしかすると、(注:モスクワ・サンクトペテルブルク間特急の)サプサンの中で感染したのかもしれません。予想がつかないことです。
(病気にかかっていた間はずっと自宅で過ごしていたのでしょうか。)
はい。病院には肺のCTのときだけ言っていました。最初の週は肺の病変が見られました。第2週のCTでは肺の病変が拡大していました。その後落ち着いて、状況が一定のレベルで続きました。味覚も感じるようになり、元気にはなりました。病気にかかってすぐのころはちょっと動いたりすることもまったくできませんでした。腰や骨盤の一部が動かなくなり、骨が折れたかのようでした。眠ることもできず、痛みで目が覚めては、タオルケットを床に敷いてそこで横になりました。そのほうが楽だったからです。腰の痛みにコロナウイルスが影響を与えたかどうかについてはわかりません。味もにおいも感じられなかったのですが、その後味覚が急に戻り、身体も楽になりました。一言で言えば、辛い病気です。私は重症ではなく、おそらく中等だったのですが。
ソチの合宿に来てリンクに入ったときは、頭はクラクラして、体調も弱々しく、リンクを2週しただけで汗だくになりました。ジャンプなしでプログラムを通しで滑ったら、何一つ集中できないことがわかりました。スピンをしたりエレメンツをしたりしていても、集中力も動きもありません。どこに向かうのかコントロールする必要があるのに、自分がどこにいるのかもわからないような状況でした。とはいえ、4Lzと4Tは最初の日に跳びました。エヴゲニー・ウラジーミロヴィチ(ルカヴィツィン)は、ロシア選手権に出場することを考慮しつつ、練習していけば問題なくなると考えていました。しかし、エレメンツを連続で行うと、2つ目のエレメントはもうなんとかやっているという感じでした。そしていまでも、今日でも、こんな感覚がよくあります。しかし、コンディションを整えていけばそういったことはなくなるとは感じています。1月に、つなぎや部分ごとにプログラムを滑ってみたときは、もう病気の直後のような感覚ではありませんでいた。状態は良くなりました。
(ロシア選手権に出場しないと決断して後、休暇をもらって帰省したとおっしゃっていましたね。つまり、練習はお正月明けから始まったのでしょうか。)
(注:ロシア選手権が開かれる)チェリャビンスクやソチで演技はしないと決めましたが、合宿はその後3日間続きましたし。この間はずっと滑り続けていました。なぜ休む必要があるのでしょうか?サンクトペテルブルクに戻り、その後ウフタに帰省しましたが、そこでもただ滑っていました。以前指導を受けていた知っているコーチのところに行ったり、小さな子どもたちのところにいって滑って跳んでいました。単にコンディションを維持するためにですが。それ以外にもホッケーをプレーしました。いわば、スポーツ活動は多くて、休暇はまったくパッシブなものではありませんでした。
(ロシア選手権はご覧になりましたか?)
ええ、仲間たちの演技を見ていました。関心がある選手たちのです。男子と女子のトップ3は全員見ました。けれど、精神的には辛かったです。爪を噛んでいました。あそこに行って滑りたかったです。チームの選手を応援して、エヴゲニー・ウラジーミロヴィチ(ルカヴィツィン)を応援していました。できるだけ彼らのそばにいようと。
(もちろん、チェリャビンスクで演技ができなかったのは悔しいことでしょう。けれど、これから第1チャンネル杯やロシアカップ・ファイナルといった新たな大会が待ち受けていますし、世界選手権も開催されます。いま、どのような予定なのでしょうか。準備状況はいかがですか?)
まずは練習ができるようなコンディションを整えました。これからは演技をするためのコンディションを整えます。大会には間に合うように準備しなければならないと思っています。目標は直近のチーム対抗戦で、自分を、戦って良い滑りができるあの強いジーマを養生で戻せるようにしたいです。
(続く)
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