Sport Den Za Dnemが羽生結弦についての論評記事を掲載していたので、前後編で紹介します。後編は中国杯の衝突事故から四大陸選手権でのグランドスラム達成までです。
成功への道のりの最後の一歩は苦しみである - 羽生結弦はいかにキャリア・グランドスラムに至ったか
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成功への道のりの最後の一歩は苦しみである - 羽生結弦はいかにキャリア・グランドスラムに至ったか
https://www.sportsdaily.ru/articles/kak-yudzuru-xanyu-shel-k-karernomu-shlemu
アンナ・コロブコワ / Sport Den Za Dnem / 2021/2/8
(続き)
2014年のグランプリ中国杯のウォームアップでは、予想できない出来事が起こってしまった。羽生は中国のハン・ヤンと衝突したのだ。脳震盪や多量の出血、膝の怪我という結果だった。ハン・ヤンもひどい巡り合わせになったが、一般的な予想に反して両選手とも棄権はせず、フリープログラムを滑りきった。結弦は5回転倒したが、それでも予定されていたジャンプに入って跳ぼうとし続けた。キスアンドクライにたどり着くのもやっとで、得点を見て泣き出した。ジャッジは実際に高い点数を付け、そのために2位となったが、これはオリンピック王者だからといっての有利な点をつけたというわけではない。立っているのもやっとの状態なのに難しいジャンプを跳ぶ人間を奨励しないことは不可能である。
この行為は自殺行為だという人もいるだろう。しかし、日本の羽生は本物のサムライであり、決して屈しない。翌月、羽生はグランプリ・ファイナルに選抜され、そして優勝したが、中国から戻る際は医師の勧告により車椅子での移動だった。
平昌オリンピック前に、医療の助けがまた必要となった。ある練習で、結弦は右のくるぶしを怪我し、医師からはオリンピックは忘れたほうがいいとも言われた。しかし羽生は特別なリハビリコースを受け、韓国へと到着し、そこで2回目のオリンピック王者となった。この出来事を記念して開催された特別パレード時に、羽生は仙台の新しいリンクを開いた。以前のリンクがあったその場所で、彼の資金により建設されたリンクである。
世界選手権には出させてもらえなかった。くるぶしの状態が悪化したためだ。しかし新たなシーズンには準備が整い、モスクワでのグランプリ大会に出場し、ショートプログラムで新しい世界記録を打ち立てた。しかし、この先にまた問題が発生し始める。練習で結弦はまた同じ右のくるぶしを傷めたが、棄権は拒否し、なにか信じられないようなやり方でフリーを滑りきり優勝したのだ(ジャンプの際の主な衝撃はまさに右脚にくるのだから)。表彰式には松葉杖で登場した。羽生の言葉によると、彼は温かく迎えてくれたロシアとファンの皆さんへの敬意から棄権しなかったという。
この決断で彼は危うく脚に障害を残すところだった。結弦はグランプリ・ファイナル、全日本選手権、そして四大陸選手権をパスした。直して、ホームでの世界選手権でしっかり演技するためにあらゆることをした。
「オリンピック前、怪我を治すことができました。これで自信が持てました。また、成功への道のりの最後の一歩は苦しみだと思っています」と、世界選手権前に羽生は語った。
アメリカのネイサン・チェンには負けたものの、全世界を歓喜させた。結弦は自分の頭で天井を突き破りながらフィギュアスケート全体を導いていると、ソ連名誉コーチであるタチヤナ・タラソワは語り、またオリンピック金メダリストであるアレクセイ・ヤグディンは、羽生が自身3度目のオリンピックに出場するなら、北京に行って、彼の偉大さにせめて触れたいので羽生の演技後に(氷上の)ぬいぐるみを集めると約束した。
2020年2月、羽生は4度目の挑戦で、欧州選手権と同等の四大陸選手権で優勝し、キャリア・グランドスラムを達成した。羽生はキャリア・グランドスラムを達成した史上7人目の選手で、初めての男子シングル選手である。
いまや羽生はただ滑って自分の芸術でみんなを喜ばせていればいいとも言われているが、彼はみんなが歓喜するからといって単なる化石ではいたくはない。そこで新しい目標を立てた。史上初めてクワドアクセルをクリーンに跳ぶこと。もしかすると、3月に開催される世界選手権で見られるかもしれない。ただ今シーズンは、昨シーズンとは違い、結弦は4回転で最も難しいジャンプについてはまだ語っていない。
(終わり)
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