オリンピックチャンネル(ロシア語版)に掲載されたドミトリー・アリエフのインタビュー、後編です。後編ではプログラムの変更について話しています。
ドミトリー・アリエフ:心が開けっぴろげだとコントロールはゼロ
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ドミトリー・アリエフ:心が開けっぴろげだとコントロールはゼロ
タチヤナ・フレイド / オリンピックチャンネル / 2021/2/1
(続き)
(昨シーズン、あなたは良い感じに積み重ねてきて、欧州選手権の金メダリストとなりました。そしてまさに昇り調子にあるところで、世界選手権が中止になりました。このパンデミックの状況をどのように過ごしているのでしょうか。)
いまはもうすべてに慣れてしまいました。始まったばかりのころは大変でした。家でトレーニングをしていました。けれど、こんな状況で、選手が家でずっと座っているのではなく、大会に出る機会を見つけられたのはとても嬉しいです。観客数の制限はあるにせよ、選手が大会に出場することができることについて、スケート連盟に感謝しています。私のパンデミックに対する態度ですが、これは自然なことであって、耐える必要があるという思いです。制限はあるにせよ大会が行われているのは良いことで、競技人生はあり、競技は生きているのです。
(パンデミックが私生活にはどのような影響を与えましたか?世界観は変わりましたか?)
アスリートとして、先行きがわからない状況にいます。大会はあると言われたのに、その後なくなったとなるのは好きではありません。大会はないと言われてリラックスしたら、あとになって大会があると言われ、起き上がって走ることになった、ということがありました。自分の中で、なにか精神的な、感情的な下降が起こります。春に深刻な隔離状況があったときには多くのことを考え込みました。もちろん選手として、世界選手権の中止は自分にとっては難しい状況となりました。自分のピークにあって、残る大会はあとひとつ、全身を捧げてその大会に全身を没入させたかったのです。充電しきった状態でアメリカ合宿に向かい、そこで世界選手権がなくなったと宣言されたのです。そのときは泣きそうになったのを覚えています。競技人生はそれでなくてもとても短く、怪我があったり病気があったりして、やりたいことすべてをその中で間に合わせることはできません。コンディションはピークにあるというのに、その中での中止というのは、喪のようなものです。できるのは健康に気をつけるばかりです。それでも病気になりましたが。
(ジーマ、あなたは詩や歌を書かれると存じていますが、最近はなにか書かれましたか?)
夏からずっと書いていません。でも、今は考え抜いたシナリオで話を書くアイディアが出てきました。空想家なんです。4年ぐらい前のエルガワでの合宿のときに気づいたのですが、競技や他のなにかについて自分の中に没入して集中し、自分の考えを誰かに吐き出す準備ができていないときは、いつも何かを書いているのです。いまは、20ページか30ページくらいの何かを考えたいと思っています。何か書きたいと。もしかすると、自伝とか、もしかすると頭で考えたものか、もしかすると人物像も考え出せるかもしれません。
(空想ではないプログラムについて話しましょう。ショートは曲を変えて、2017/18シーズンに滑っていたアラム・ハチャトゥリアンのバレエ「仮面舞踏会」のワルツに戻しました。なぜでしょうか。)
今シーズンは普通のシーズンではないとわかっていました。それで、キスロヴォツクで怪我をしたのは、ちょうどプログラムの振付をしていたときでした。それで氷上練習ができなくなってしまったのです。間接が痛み脚で立つこともできなかったのに、プログラムは振付をする必要がありました。新しいショートを振り付ける予定だったのです。怪我のせいで、リハビリに通いながら曲を探してました。そこで、確かオリガ・ゲルマノヴナ(グリンカ)が、「仮面舞踏会に」に戻すつもりはないかと訊いてきたのです。私はそのことをすでに考えてはいましたが、そのアイディアを話すのが怖かったのです。
(なぜ怖かったのでしょう。)
それがどんなふうに受け取られるかがわからなかったからです。けれど、その後ですべて話しました。衣装は変えることにして、プログラムに少し足すことにしました。「仮面舞踏会」を滑ったのは、まだ18歳の若者だった頃でした。いまは、このクラシックなプログラムで、洗練や切れ味、なにか男性的なものを見せたいと思っています。
(フリー・プログラムには、最初は「S.O.S. d’un terrien en détresse」を選ばれましたが、その後「L‘Immensita」に変更されました。前者を聴いたとき、この曲で滑るのは大変かもしれないと思いました。あなたは感情的な滑りをし、曲もある意味ロックな、とても感情的な曲です。この曲で、亡くなられたデニス・テンが最後のプログラムを滑っていました。)
ええ、そうなってしまいました。プログラムの振付を始めて、曲に魅了されるようになったのですが、同時に何か昏迷のようなものがありました。それでも滑れる人もいます。けれど、私は心が開けっぴろげになると、コントロールはゼロになるのです。私はジャンプをしなくてはいけませんから集中しなくてはいけないのですが、これは2017/18シーズンにあったことと同じだとわかりました。デニス・テンが滑っていた曲でのショートがあったのですが、それもとても強く叙情的で悲しい曲でした。なぜかそのプログラムはうまくできなかったのです。本当に心にとって重い曲でした。すぐになにかしないといけないとわかりました。このプログラムの中でなにか新しいものを探したり、ステップを変えたりなど。振付は美しいものだったのですが。私にとってそのプログラムを滑るのは楽しかったのですが、昏迷のようなものがあり、それで終わりでした。結局プログラムを変えるという決断に至りました。この曲が氷上にいるときに流れると、オリガ・ゲルマノヴナ(グリンカ)の目に涙が溢れてくることもあります。曲がとても強く、その中に溶け込もうとするのです。私も感じやすい人なので、滑りながら鳥肌が立つのですが、スケーティングには必要がないものです。
(今の曲も感情面ではとても強いものですが、あれほどではありません。)
ええ、あれほどは引っかかりませんが、力があり減退感がないのが刺激されます。感情面では、この曲は昨年のプログラムに似ています。スタイルは異なっていますが、似ています。
(「S.O.S.」でエキシを振り付けるのはどうでしょうか。)
エキシに出られるなら、検討したいと思います。
(終わり)
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