ベラルーシに競技国籍を移したアレクサンドル・レベデフのインタビューがSport Expressに掲載されていましたので紹介します。
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ロシアでは多くの人が国籍変更を裏切りだと思っている - なぜロシア人は国籍変更をするのか
ドミトリー・クズネツォフ / Sport Express / 2021/1/19
ロシアのフィギュアスケート界における競争はあまりにも激しく、ヨーロッパの大会の多くがロシアの国外選手権に変わってしまった。一番最近のシニアの大きな大会であった欧州選手権において、実際のロシア代表は数十名に上った。トシコ(トルソワ・シチェルバコワ・コストルナヤ)のほかにも、欧州選手権ではオーストリア、イスラエル、ベラルーシ、セルビア、アルメニアその他の国からロシア女子が出場していた。
その例の一つが、トムスク州のアレクサンドル・レベデフである。彼はロシアカップの偉大なる中堅選手であったが、その後国籍を変え、今やベラルーシ代表である。同国は難しい時期を迎えているため、政治の問題はオフレコとして避けた。実際、政治が選手の邪魔をすることもある。アレクサンドルが出場した大会の一つで、日曜にアリーナがある地域でデモ集会があったためフリープログラムが月曜に延期になってしまった。
このシベリア出身の選手は、欧州選手権とジュニア世界選手権に出場し、世界選手権2021の代表に選出されている。彼の例や他の選手の例は問題を突きつけている。選手をロシアのスポーツ国籍に留める必要はないか、近い将来に大量の国籍離脱が待ち受けているのではないか(スポーツ国籍のことであって、パスポート上の国籍のことではない)。ISUはすでにこのシナリオ防止のための措置に着手していて、国籍変更の際の大会出場停止期間を1年から2年へと延長している。しかし、このことはどれだけ正しいことなのだろうか。
伝説のヴィクトル・クドリャフツェフの指導も受けたことのある18歳のアレクサンドルが、国籍変更に対する自身の態度について「Sport Express」に語った。
国籍変更はモチベーションアップ
(アレクサンドル、セヴェルスク人がベラルーシ代表になるというのはどんな感じですか?)
ええ、実際は偶然です(笑)。ベラルーシ代表になる予定なんてありませんでしたし、そんな考えもありませんでした。
(「ベラルーシ語」をもう話されているのですか?)
ええ、勉強し直しました。2年、高校1-2年をベラルーシの学校に通い、新しいことを多く知って、正しい言葉を理解しました。ロシア国籍で大会に出場していて、スポーツ国籍変更については考えていませんでしたが、シーズンオフに新しいプログラムの振付を予定していた頃に、ヴィテプスク(ベラルーシ)の協会から招待されて、そこに行って大会に出場しましたが、ロシア代表としてでした。良い演技ができたのですが、そこで「あなたがちょうどよいと思います」と言われたのです。それから手続きの書類を作り始めました。最初はヴィテプスク代表で、いまはミンスク代表です。
(国籍変更というのは大決断ですが、疑問はおおかったのではないでしょうか。)
いろいろな思いがたくさんありました。スポーツ国籍変更は、引っ越し、生活の大きな変化を余儀なくさせるもので、私はまだ16歳で勉強を続けなければなりませんでした。
(ただ、ロシアではそういった選手に対する態度が…。)
裏切りだと、わかっています。ウクライナとポーランドに移籍したアナスタシヤ・シャボトワやエカテリーナ・クラコワに関する記事を読んでいました。私はそうは思いません。スポーツ国籍変更はモチベーションアップであり、ロシアカップのような下のレベルではなく、国際大会で自分を試せるチャンスが持てるのです。ロシア国籍自体は変更していませんし、ロシアを愛しています。
(つまり、スポーツ国籍全体としては賢い選択肢で、フィギュアスケート選手はそれを考慮する価値があるという結論に達したのでしょうか。)
ええ、賢い選択肢です。もともと予定していたことではなく、なんというか、より上のチャンスができた、ということで、ベラルーシ・スケート連盟には感謝しています。チャンスを提供してもらったので、それを利用することに決めたのです。フィギュアスケート選手全体については、私はわかりません。人によります。けれど、自分がこのようになったのだから、試してみない理由はあるでしょうか? 落ち着いて対応しなければなりません。大きな意味で言えば、転校と同じようにです。学校を変えるのと意味は同じです。勉強をして、新しいことを学ぶ。みんな同じ目標に向かっていますが、道は様々です。私はベラルーシで進歩を感じています。条件もよく、毎月毎月向上しています。それは数字にも表れていて、170点からスタートし、いまはもう200点以上になりました。
ベラルーシの大きな大会 - ミンスクは世界選手権も開催できる
(2つの学校に通っていたのですか?)
ええ、トムスク州ではいわゆる家庭内学習でした。自分で勉強して、中間試験と期末試験を受けていました。並行してヴィテプスク(ベラルーシ)の学校に通っていました。けれどパンデミックのせいでおかしなことになり、退学せざるを得ませんでした。ベラルーシでは修了の際に個別試験があり、本人出席が必要なのです。私にはそれに行く機会がありませんでした。
(Zoomで試験は受けられないのですか?)
いいえ。そのとき、ベラルーシではまだあまり普及していませんでした。
(コロナウイルスに対するアプローチも、抑制されていましたしね。どうお考えでしたか?)
いずれにせよ制限はあって、スケートリンクもそうでした。ええ、モスクワのような、全部閉めてしまうような厳格なロックダウンはありませんでしたが。みんな練習は継続していました。ベラルーシに行く誘惑はなかったか、ということですが、私は氷上練習なくセヴェルスクの家に残っていて、国家統一試験に向けて勉強していたので、4ヶ月半滑ってませんでした。ミンスクに戻ったのは8月初めになってからでした。それで、モスクワ国家体育大学に入学しまいた。
(リスクを避けてスポーツ専門に行かないという希望はなかったのでしょうか。)
国籍変更までは医学や薬学について考えていました。けれど、生活すべてが競技に結びつき始めてから、自分の成長を止めないような大学に入る必要があると思いました。練習に行く余裕を与えてもらっています。これはプラスです。
(スポーツ国籍を変えるというのは難しいことなのでしょうか。)
ええ、とても複雑です。けれど私はツイていました。いま、ロシアはすでに国籍変更に伴う出場停止期間を1年から2年に伸ばし厳格化しましたが、ISUの証明書を作るのがちょうど間に合って、すぐに国際大会シーズンに入ることができました。いま、ロシアは特に外に出ることを誰にも認めていません。いずれにせよ、たくさんの書類を作らなければならず、時間がかかるプロセスです。
(ロシア選手の多くに、外に出る意思があるのでしょうか。)
そう思います。私のように、ロシアカップに出場していて10位くらいの選手の多くが。まあ実際、私レベルの選手はロシアでは簡単に見つけられます。どの街でも。モスクワには私のような選手は極めて多いでしょう。「なぜ私が選ばれたのだろう? 選択肢はたくさんあるのに!」と思うこともありました。実際はコーチを探していたらしいのですが、その後私に目をつけたようです。いまは、なぜこうなったのかと考え込むことはもうありません。練習しないと(笑)。
(ベラルーシではいま多くの大会が行われていますね、ヨーロッパの大半の国々とは違って。)
ええ、しかもオープン形式で実施しようとしています。ベラルーシ選手権もそうでした。私はその時、多くの選手と同様にコロナウイルスに感染していましたが。ケヴィン・エイモズや他の選手もベラルーシに来ています。他にも2つの大会がありました。これは凄いことです。
(ベラルーシに世界選手権を招致できますか?)
そう思います。2019年の欧州選手権ではちょっとした問題はありましたが、注意深く準備すればミンスクはすべてを協力に組織できるでしょう。あの有名な側面を考慮しなければ、開催できると思います。
トゥクタムィシェワとシチェルバコワは、別の重量階級
(ロシアでのグランプリ大会にも出場されましたが、ご感想は。)
大きな経験となりました。ジュニアグランプリや欧州選手権、ジュニア世界選手権に出場し、シニアの世界選手権にも選出されたこともあります。けれど、グランプリは欧州選手権と比べてもまったく別のレベルです。制限はあったにせよ、とても気持ちよかったです。もちろん、欧州選手権も大きな刺激で、グラーツでどのように大会が組織されているのかを見るのも興味深かったのですが、率直に言えば、変な場所で大会が行われていました。ミンスクとは比べ物になりません(笑)。
(世界選手権に選出されましたが、開催されるとお思いですか?)
出場資格獲得の長いサイクルの中で最初に選出された一人となったことをとても嬉しく思っています。問題は選手が解決するものではなく、ISUがスウェーデンとともに解決するものとはわかっていますが、開催されたらいいと思っていますし、もし開催されるなら行く準備を整えます。
(現在のご予定は。)
来週のベラルーシ・ジュニア選手権への準備と、その後も向上を続けて、4回転を習得したいです。いまもうできつつあります。
(女子が男子よりも4回転をうまく跳んでいるようなことに驚かれませんか?)
それは大きな進歩で、スポーツは前へと進んでいるということです。選手としては、女子のほうが軽いので驚くことはありません。成長期までは確実にそうです。ただ、エリザヴェータ・トゥクタムィシェワの4回転と、アンナ・シチェルバコワの4回転は違うものです。彼女たちは別の重量階級に属しています。体重のことではないですよ、もちろん。けれど、彼女たちがロシアを代表していること、そして競技、フィギュアスケート自体を嬉しく思います。
(つまり、年齢制限を引き上げる必要はないと。)
自分が女子なら考えるところでしょう(笑)。でも、いまのところ自分には関係ないので、私がそのテーマを話す必要はないのでは。
(ご自身の人生がこのように積み上がってきたことに満足されていますか?)
ええ、まったく。2年前、中学3年のときに試験を受けるために引退を考えていました。今後の人生についてすでに考えて、フィギュアスケートを止やざるを得ないと予想していたのです。もしかすると、医学部に入ってサンクトペテルブルクで学んでいたかもしれません。けれど、スポーツ国籍の変更が私の人生を180度変えてしまいました。そして、それを後悔したことはありません。
(終わり)
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