引退を表明したエレーナ・ラジオノワがR-Sportのロングインタビューに答えていましたので、全5回で紹介していきます。第1回は引退の決意についてです。
「私は全力を絞りきった」-エレーナ・ラジオノワの率直なインタビュー
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「私は全力を絞りきった」-エレーナ・ラジオノワの率直なインタビュー
https://rsport.ria.ru/20200922/radionova-1577567244.html
アナトリー・サモフヴァロフ / R-Sport / 2020/9/22
「フィギュアスケートを捨てても一度も後悔しないくらい疲れ切っていた」
(レーナ(ラジオノワ)、自分に「終わり」と告げたのはいつのことだったのでしょうか。)
2018年のテストスケートの後、最終的に終わったとわかりました。その年のオリンピックに選抜されなかったときに、最初の思いが訪れました(編注:ラジオノワはロシア選手権で10位)。けれど、ポスト・オリンピック年はいつも全く予測がつかないものだと思ったのです。Art On Iceに行ってきて、シーズン最後にかけて良いコンディションを整えて、素晴らしいプログラムを振付けてもらって、生活は落ち着きました。しかし、シーズンオフがひどく辛いものにになって、まったくぼやけたものになってしまいました。私は自分に、「これにうまく対処するか、でなければ全部やめてしまおう」と言いました。
(何が「うまく対処する」ことを邪魔したのでしょうか。)
身体です。ホルモンの乱れに対処できませんでした。わかってもらえる人が少なかったのです。ものすごく太りました。厳しいダイエットをしても役には立たなかったでしょう。私は管理できないような状態にあって、できるのはただ過ぎ去るのを待つだけだったのです。身体が機能を正常化するのに時間が必要でした。スケート靴を履いてみても、これは私じゃないという感じがして、その後、体重のためにリンクにはまったく入れてもらえなくなりました。精神的にも圧迫されていました。エレーナ・ゲルマノヴナ(ブヤノワ・コーチ)はひどく心配してくれました。いつ私が怪我をしてもおかしくないと見て取ったのです。何日経っても大丈夫そうなコンディションには遠く、医師に診てもらったのですが、その時に決心しました。身体を壊す必要はない、将来について考えなければならないと。フィギュアスケート選手のキャリアよりも、将来はもっと高いところに到達できると確信しています。
(それからどうなったのでしょうか。)
それから、自分にもう1度だけチャンスを与えました。夏にコンディションを整えようとして、これまでの考えを忘れて、全力を注力しました。そう、あと1回だけ、最後に、と思って。夏の太陽の下、私は寒いリンクに通って、自分の肉体を「動かそう」と努力しましたが、依然として不快な状態が続き、毎日ストレスやヒステリーを起こしていました。地獄でした。ヨシカル・オラでのロシアカップに出場し、ショートを滑りきったところで、フリーは耐えられないとわかりました。あまりに疲れ切っていたので、フィギュアスケートを捨てても一度も後悔しないくらいでした。すべてが嫌になってしまいました。自分の最大限を絞りきってしまったのだと思います。
(なぜその時すぐに引退を表明しなかったのでしょうか。)
それでも頭の中では、ある時間のあいだ、いろいろな思いが残っていました。何かあるかも?またやりたくなるかも?また惹かれるかも?もしかして…と。フィギュアスケート選手が私の中から消え去って、「これで本当に終わり」と、落ち着いて言える、別の目的を持った別の人が自分の中で成熟するのに、私には時間が必要でした。この世界では引退して、その後復帰するのが好きな人もいますから。人はブランコにように自分の願望の上で揺れるものですが、私は自覚がほしかったのです。それに、引退表明は、誰よりもまず私のファンの皆さんのためにしています。正式に、美しく去りたいのです。
(復帰したいという思いはもう起こらなかったのでしょうか。)
いま、私はとても良い感じです。自分の動画を見て、スケート靴を履いて滑ったり、ショーに出たり、ということはあります。けれど、また競いたいと思うことは一度もありませんでした。競技会はいつでも自分にとっては大きなストレスで、競技会の後は長く休みを取っていました。出場して、すぐにそれを忘れてしまう人もいるでしょう。私は、大会の後1週間経っても、身体は新しいことに準備ができても頭の準備ができていない、ということもありました。
「女子シングルスケートでの『キラー』は誰だと思いますか?」
(競技会が好きなことは一度もなかったのでしょうか?)
まったくありませんでした!フィギュアスケートは私にたくさんのものを与えてくれて、それでは私は幸せでした。観客がいて、その前で演技をして注目してもらって、エネルギーをもらって、反対にエネルギーをあげて、ということは好きでした。でも、大会自体に喜んだことは一度もありません。順位や称号を勝ち取るのは好きでしたが、そのプロセス自体は好きではありませんでした。
(なぜでしょう?)
私にとって、大会での集中というのが好きではなかったのです。私の望み通りにできるのなら、ショートもフリーもいっぺんに滑るようにして、演技と演技の間に練習を挟まないようにしたいです。集中して、全力ですべてをやりきることもできましたが、1度限りです。とはいえ、大会が嫌い、というわけではないんです。新たな国、人たち、抽選、エキシ、注目といった、大会の空気は好きでした。けれど、戦いというもの自体は私向きではありません。そこまではすべて溺愛していましたが、戦い自体はストレスでした。リンクに踏み込むと、完全な集中。スケート靴を脱ぐと、脱力。この集中の代わりに、私は神経細胞を差し出していました。
(コーチはあなたから雌狼を引き出そうとしなかったのでしょうか?出ていって、ライバル選手を蹴散らすような。)
出ていって誰かを八つ裂きにしなさいとは言われたことはありません。まず、そういったやり方は私は好きではありません。なぜ私が誰かを八つ裂きにしなければならないのでしょうか?
(では、どうやって勝つのですか?)
自分のすべきことをしなければならない、と思います。相手を殴らなくてはいけないボクシングではないのですから。
(私はプルシェンコと話して、これは本当に氷上のボクシングだとわかりましたが。)
そうですか?私にはそんなことはありませんでした。練習でさえもです。私にはスパーリングパートナーが必要だったことは一度もありませんでした。必要な人もいますけれど。近くにいる人が、何か美しいことをしても腹を立てたりしたことはありません。別の人に集中していると、自分のエネルギーを浪費してしまいます。コーチたちは、私が練習でうまくできなくても、大会では素晴らしく見えることもあることをわかっていました。こういった性格なんですが、なんていう名前なのかもわかりません。まとめると、必要な時には集中していましたし、それでコーチも評価してくれていました。
(もっと獣のような資質、もしかすると「キラー」のような資質があれば、銀メダルではなく、どこかで金メダルを獲れていたのかもしれないと思いませんか?)
女子シングルでの「キラー」は誰だと思われますか?
(メドヴェデワです。2年間あらゆるもので勝ち続けて、その後、怪我をしてからも全力をオリンピックで集中させることができました。)
ジェーニャ(メドヴェデワ)は本当にファイターだと思います。
(一方、ザギトワは「キラー」ではありません。彼女にはキラーとしての本能はありませんが、自分を壊さない軸があります。)
そうですね、アリーナは「キラー」ではありませんが、私たちはみな違った性格ですから。私は、私に近い資質を上手く使おうしていました。実際、重要な大会を席巻する事ができたかもしれませんが、一部は、実際に別の資質が足りなかったですし、また勝利のための整然とした練習に必要なチームがなかったということもあります。
(チームがなかったとおっしゃいましたか?)
ええ、みんな一緒に結果を出すと意識するような、整然性が足りないときもありました。然るべきようにしていないことがあっても、自分でその問題に入り込まざるを得ませんでした。例えば、エレーナ・ゲルマノヴナ(ブヤノワ)にはコレオ・コーチがいて、スケーティング・コーチがいて、基礎トレーニング・コーチがいます。それまで、インナ・ゲルマノヴナ(ゴンチャレンコ)の頃は、私たちはまるで開拓者のようでした。私たちは、すべてをどのように組み立てるべきなのかもまったく知りませんでした。小さな頃はそれで一定のレベルに留まることはできるでしょうが、成長して結果を出したいと思ったときに、例えば具体的に私の場合では、股関節に追加的な負荷が必要だとわかりました。私自身で、チームみたいなものを組織して、結果に向かわなければいけないこともありました。しかし、最後まで団結するのはうまくいきませんでした。インナ・ゲルマノヴナ(ゴンチャレンコ)と私にとっては、大きな課題のための初めての作業の経験だったからです。私たちはただ、何をしたらよいのかがわかりませんでした。それで間違いをしてしまったのです。
(続く)
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