ロシアのテストスケート、男女シングルのSPが終わりましたが、各選手がインタビューに答えています。トゥトベリゼからプルシェンコの下に移籍したコストルナヤが、かなり長めにインタビューに答えていましたが、テキストがありましたので紹介します。
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「プルシェンコのところでは、なにかうまくいかなくても、誰も追いかけてこないし、叫ばないし、怒られない」 - コストルナヤ、トゥトベリゼの下を離れた理由を初めて語る
https://www.sports.ru/tribuna/blogs/russiateam/2829756.html
パヴェル・コパチョフ / Sport.ru /2020/09/12
身長が3cm伸びて、うち1.5cmはここ1ヶ月で伸びました。
今日は緊張しました。緊張の瞬間が何度も頭の中を駆け巡って揺さぶられたけれど、その後すべて消え去りました。ただリンクに入って氷と観客席を感じました。すべて魔法のように消え去りました。
(長い休止期間を経て最初のリンクインや、観客の反応に驚きませんでしたか?)
驚いたというか、ただ多くのことにまだ慣れていなくて、すべてが新しくて違っていました。まだエフゲニー・ヴィクトロヴィチ(プルシェンコ)と一緒に大会に出たことがなかったので、いつもとは違っていました。ちょっと違った形で調整をするのに慣れていたのですが、今回はすぐに「あれとあれをやってください、落ち着いて」と言われました。私はもっと自分に集中して、誰にも触れられない方が慣れていました。
コーチにはそれぞれ独自のアプローチがあります。エテリ・ゲオルギエヴナ(トゥトベリゼ)のやり方もあり、エフゲニー・ヴィクトロヴィチ(プルシェンコ)は全く違うやり方です。新しいチームは、より落ち着いています。1ヶ月練習しましたが、あたかもまったく同じことをしているかのようです。同じ通し練習、同じジャンプ、同じトレーニング。基礎体力トレーニングはどこか強めかもしれません。
しかし、基礎体力トレーニング後の氷上練習で何かうまくいかなくても、誰も追いかけてきませんし、叫びませんし、怒られません。「ではそれは置いておいて、次回やりましょう。今は、同じく重要な別なことを練習しましょう」と言われました。例えば、朝の練習でプログラムを滑りきれないと感じたときは、ジャンプなしの雛形で通しをしようと言われますが、なんか楽だと思えました。しかし実際は、耐久性を作るのにとても役に立ちます。
(シーズンオフのフィギュアスケート界を襲ったあの大荒れの中心にいてたことは、ひどく邪魔にはなりませんか?)
エテリ・ゲオルギエヴナ(トゥトベリゼ)に電話をしたのですが、その後すぐに彼女はインスタグラムに投稿をして、それでかなりたくさんの電話をいただきました。私はただ、コメントはしないとだけ言っていました。もちろん誰も私がSNSをするのを禁止していません。人が去るときにはその理由があり、誰もただ理由なく、現状で良しとしつつ去ることはありません。
そこで、あのインスタグラムへの投稿は、残念です。インスタグラムでお互いに応答し合うなんて。関係をはっきりさせたくてそんなにうずうずしているのなら、目と目を合わせてすべて言えばいいのです。けれど、誰のことも責めることはできません。
(エテリ・エオルギエヴナ(トゥトベリゼ)が書いていた、一緒に滑りたくない選手リストはあったのでしょうか。)
そういうわけではなく、私やアーニャ(シチェルバコワ)といった選手や、カミラ(ワリエワ)でも、2010年生まれの子供たちと一緒に滑ることはできないと考えています。できたとしても、子供たちには「女子選手たちは大人で、大目に見てはくれません。選手たちを邪魔したら、飛びかかって怒るかもしれません」と説明すべきでしょう。私が小さいころ、フェンスの近くを滑っていたら「誰かを邪魔したらすぐに出ていってもらいます」と言われていました。
コーチたちにこう言ったことがあります。すでに8人で滑っていて、クレイジーな練習のテンポなのに、さらに子供を入れるというのは正しくないと。しかし、4人が同時にリンクに入り、みんなすべていつもどおりに練習してたのでひどく邪魔をされて、とてもイライラしました。
(あなたからはお願いだけで、要求はしなかったのですか?)
はい、「やり方を変えてください、お願いします」と言いました。とてもやりづらいし、無理でした。しかし、まったく反応はなく、応えてもらえませんでした。
(決断をしたのはいつでしたか?)
7月17日、2回めの練習に入る前です。すでに相互関係は失われていました。セルゲイ・アレクサンドロヴィチ(ロザノフ(プルシェンコ・グループに移籍したコーチ))に電話して、「こういった状況なので、可能性はありますか?」と。彼は、「数日待って、もう一度考えてみてください。あなたの決断ですが、これだけ長いあいだエテリ・ゲオルギエヴナ(トゥトベリゼ)のチームで練習して結果を出してきたのだから、予期せぬものです」と言っていました。実際、前のチームには本当に感謝しています。数日後また電話して、「考えて、全て決めました」と伝えました。それで、その時から静かにすべてを調整し始めました。
(そのときにはすでに両プログラムとも振付けが終わっていたとのことですが。)
はい、ショートもフリーもです。ショートは冬に、フリーはその少し後に。フリーは好きでした。すべての箇所ではありませんが、音楽は良かったです。ショートはまったく好きになれず、それについては言いました。何度も言いました。「滑ってみて、テストスケートのあと考えましょう」と言われていました。でも本当に好きになれず、曲を感じられませんでした。そういったプログラムを滑るのは好きではありません。
(それまで、プログラムの選択には参加されていたのでしょうか。)
まあ、私の意見も考慮されていましたが、いつもではありませんでした。自分の意見を言うと、「はい」か「いいえ」で答えられていたのですが、「いいえ」と言われることがとても多かったです。
(終わり)
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