「ボリショイ・スポルト」誌に、エヴゲニー・プルシェンコのインタビューが掲載されました。もしかすると、インタビューしたのはちょっと前のことかもしれません(ジュベールなどのくだりがすでに報道済み)。
しかし、インタビュアーもシドニー金メダリストのネモフという。ちょっと(というかだいぶ)お太りにはなられているようですが…。そういえばジェーニャの体重の話題も出てましたね。
ジュベールやキムユナが俺のフォロワーだという話や、ライサチェックやっぱり嫌いなんだろうな、とか、ヤグディンとの関係をあからさまに話しているところなんか面白いですね。
スケート部分はツイッターでも流しましたが、その他の部分も含めて抄訳しましたのでお楽しみください。
http://www.bolshoisport.ru/articles/evgeniy-plyuschenko-o-sochinskih-igrah-evrovidenii-i-ohote
(オリンピックへの準備はどんな風に進んでる?腰はどう?)
状態はだいぶ良くなったよ、アレクセイ医師には感謝だね。ちょっとずつリンクに出てるよ。このインタビューの前もショートプログラムを滑って4回転も跳んだ。ミスもあったけど最初の滑りとしては理想的だ。この先も全部正しくやっていけば全てがうまくいくはず。
(今度で4回目のオリンピックになる。戦いに向けて調子を合わせるのは大変じゃないか?)
精神的な疲れはなくて、もっとずっと滑れるくらいだと言いたい。練習に来ると、頭はやらなくちゃだめだって言うんだが、体はなんでしなくちゃいけないんだと答える。僕はこれまで12回手術をして、力に限界はないというわけではないと知らせてくれた。特に最後の脊椎の手術には力を奪われたよ。椎間板を交換して、4本のボルトで抑えてあるんだ。回復にはとても長い時間がかかる。7ヶ月は本当に長い。まだ終わっていない。
(一般的にフィギュアスケートや、例えば新体操は、若い人のスポーツだ。だが、お前は自分でそれに対抗しようとしてるが)
フィギュアスケートを少し変化させ、より大人のスポーツにしたのは僕だ。その前はどうだった?どこかで優勝して、引退だ。オリンピックで優勝したタラ・リピンスキーはアマチュアから15歳で引退した。今は全く違っていて、良いと思う。例えばブライアン・ジュベール。彼は29で、もうずっと前からキャリアを終えても良かったかもしれない。でも、僕という先例が目の前にいるからまだ滑り続けているんだ。バンクーバーオリンピックで優勝したユナ・キムも、足を洗おうとしていたけど、「プルシェンコのように」なりたいと決めた。彼女はまだ若くてソチオリンピックはまだ2回目だけどね。僕はもう31。13歳でもうジュニアワールドに出てたから、もう17年もアマチュアにいるってことさ!
(エヴァン・ライサチェックもソチに戻ってくると聞いたが)
ちょっと前、エヴァンは怪我で国際大会出場を取りやめたけど、色んな所で戻るって叫んでるみたいだね。でもとってもつらいことだから、誰でもできるものじゃない。これまでも間をあけて戻ってきた後、何も見せられないという人も多かった。ショー・ビジネスに行ってしまうと、時間と金ができる。食べ物や飲み物も制限しなくていい。その後になって、戻ってまた馬車馬のように働くよう自分を追い込むのはとても難しいことだよ。
(ところで、リョーシャ・ヤグディンとはどう?)
ああ、もちろん僕らは友達じゃないけど、挨拶は交わすし、僕は彼のことは悪くなく思ってるよ。前はもっとひどかったけどね。会っても顔を背ける仲。優勝を争いながら仲良くするのは難しいよね。僕のキャリアを通して、彼が一番の難敵だと思っていたし、今でも思ってる。厳しい性格をした強烈なアスリートだ。一緒にショーに出たことはあるけど、どこかに一緒に行くなんてことはない。
(今回のプログラムはオリンピック優勝に向けて研ぎすまされてるんだろうな?)
まだそのことについて語るのは早い。まずはオリンピックに出られるようにならないと。グランプリに出て、ロシア選手権で優勝して、それからだ。残念ながらここ数シーズンの世界選手権で上手く行ってなかったから、男子はソチへの切符は1枚しかないんだ。まずはオリンピック代表に選ばれてから、4回転を何度入れるか見当をつけよう。今のところは回復を早めようというよりは落ち着いて練習をしているところだ。自分の体のことはわかってるからそれ以上の負担はかけないで、切り替えるようにしている。
(負傷後の最初の公式大会はいつ見れるのか)
リガで11月7日に出場する。笑っちゃうけど、国際大会に出る権利を獲得しなくちゃいけなんだ。そのためにはフリーで技術点のミニマムを取らないと。
(家族はみんな元気?)
何の問題もないよ、でも残念ながら僕は今ペテルブルクで、ヤナはモスクワに住んでるんだ。どちらもやることが多くて、なかなか会えない。でも彼女が支援してくれてると感じるし、ずっと連絡は取っている。1人じゃとてもつらい。1月に生まれたばかりの下の息子も僕には足りない。
(上の息子のエゴールがホッケーやってるって聞いたけど)
もうやってない。アスリート的で、サッカーもやってたんだけど、チームスポーツは合わないってわかったみたいだ。エゴールは個人主義者だからね。テニスを始めたけど、気に入ったみたいだ。
(お前自身もホッケーは追ってるんだろ?この前のワールド・チャンピオンシップは見た?)
ロシアがひどかったやつ?見たよ。悲しかったけど、オリンピックまでにはなんとかなるだろう。地元開催だしね。イリヤ・コヴァリチュクがペテルブルクに来たけど、そんなに簡単じゃないみたいだな。今はすべてがオリンピックだ。ロシアのホッケーは前へと進んでいて嬉しく思う。
(趣味も多いよな。今は何がブームなんだ?)
今はゴルフに夢中だよ、本当に好きになった。あと、ハンティングも楽しんでいる。本当に偶然だったんだけどね。ダーチャ(別荘)に行った時に掲示板を見て、電話してみたら、狩猟地がうちからすぐだったんだ。すぐに行って、ライセンスを取って、鴨狩りだ。ハンティングは日常から離れさせてくれるので強く惹かれてる。一日ずっと自然の中で過ごす。これ以上のことはあるかい?最近、鴨を3羽射ったはいいが1時間半も背の高い草むらを探さなくちゃいけなくなった。犬がいなかったからね。その休日だけで1.5キロ痩せたよ。
(ずっと前からユーロビジョンのことを聞きたかったんだ。5年経った今、ビラン(註:歌手)の曲への参加に同意したことを後悔してないか?)
なんで後悔しなくちゃならないんだ?そのときはアマチュアじゃなかったし、邪魔するものはなかった。戦闘状態の体重は70kgなんだけど、その時は82kgもあったんだよ、笑えるよね。アイディアが気に入ったんだ。でも、本物の氷で滑れると思ってたのに、実際は樹脂製のの狭いやつだったんだ。不快で頭にくるくらい嫌だったね。そうそう、その時面白かったのは、ジーマ(ビラン)がサビで違う方向に進んで僕の方に近づいて来ちゃったんだよ。ほら、ビランは素足だったから足の指をなくすとこだったんだ。カミソリみたいに研がれた僕のスケートが彼の足にどれだけ近かったことか。樹脂製のリンクだと止まれないんだよ、横滑りするから。今でも彼と会うとその時のことを思い出すんだ。でも結局ものすごい歓喜で、観客も手放しで喜んでくれたし、しかも優勝したからね。
(「第2のプルシェンコ」っていう言葉に何を感じる?最近の若手に見通しはあるか?)
僕の場所には、僕より優れたやつが来なくちゃいけないといつも言っていた。今、10-12歳くらいの才能ある男子がいるけど、誰がうまくいくかは言うのが難しい。今日の選手たちについて言えば、まだ時間が必要で、翼がまだ広がっていない。みんなに成功を祈るよ、新しい人が僕らには必要だ。
しかし、インタビュアーもシドニー金メダリストのネモフという。ちょっと(というかだいぶ)お太りにはなられているようですが…。そういえばジェーニャの体重の話題も出てましたね。
ジュベールやキムユナが俺のフォロワーだという話や、ライサチェックやっぱり嫌いなんだろうな、とか、ヤグディンとの関係をあからさまに話しているところなんか面白いですね。
スケート部分はツイッターでも流しましたが、その他の部分も含めて抄訳しましたのでお楽しみください。
エヴゲニー・プルシェンコ:ソチオリンピック、ユーロビジョン、そしてハンティングについて
アレクセイ・ネモフ / ボリショイ・スポルト No.10(76)http://www.bolshoisport.ru/articles/evgeniy-plyuschenko-o-sochinskih-igrah-evrovidenii-i-ohote
(オリンピックへの準備はどんな風に進んでる?腰はどう?)
状態はだいぶ良くなったよ、アレクセイ医師には感謝だね。ちょっとずつリンクに出てるよ。このインタビューの前もショートプログラムを滑って4回転も跳んだ。ミスもあったけど最初の滑りとしては理想的だ。この先も全部正しくやっていけば全てがうまくいくはず。
(今度で4回目のオリンピックになる。戦いに向けて調子を合わせるのは大変じゃないか?)
精神的な疲れはなくて、もっとずっと滑れるくらいだと言いたい。練習に来ると、頭はやらなくちゃだめだって言うんだが、体はなんでしなくちゃいけないんだと答える。僕はこれまで12回手術をして、力に限界はないというわけではないと知らせてくれた。特に最後の脊椎の手術には力を奪われたよ。椎間板を交換して、4本のボルトで抑えてあるんだ。回復にはとても長い時間がかかる。7ヶ月は本当に長い。まだ終わっていない。
(一般的にフィギュアスケートや、例えば新体操は、若い人のスポーツだ。だが、お前は自分でそれに対抗しようとしてるが)
フィギュアスケートを少し変化させ、より大人のスポーツにしたのは僕だ。その前はどうだった?どこかで優勝して、引退だ。オリンピックで優勝したタラ・リピンスキーはアマチュアから15歳で引退した。今は全く違っていて、良いと思う。例えばブライアン・ジュベール。彼は29で、もうずっと前からキャリアを終えても良かったかもしれない。でも、僕という先例が目の前にいるからまだ滑り続けているんだ。バンクーバーオリンピックで優勝したユナ・キムも、足を洗おうとしていたけど、「プルシェンコのように」なりたいと決めた。彼女はまだ若くてソチオリンピックはまだ2回目だけどね。僕はもう31。13歳でもうジュニアワールドに出てたから、もう17年もアマチュアにいるってことさ!
(エヴァン・ライサチェックもソチに戻ってくると聞いたが)
ちょっと前、エヴァンは怪我で国際大会出場を取りやめたけど、色んな所で戻るって叫んでるみたいだね。でもとってもつらいことだから、誰でもできるものじゃない。これまでも間をあけて戻ってきた後、何も見せられないという人も多かった。ショー・ビジネスに行ってしまうと、時間と金ができる。食べ物や飲み物も制限しなくていい。その後になって、戻ってまた馬車馬のように働くよう自分を追い込むのはとても難しいことだよ。
(ところで、リョーシャ・ヤグディンとはどう?)
ああ、もちろん僕らは友達じゃないけど、挨拶は交わすし、僕は彼のことは悪くなく思ってるよ。前はもっとひどかったけどね。会っても顔を背ける仲。優勝を争いながら仲良くするのは難しいよね。僕のキャリアを通して、彼が一番の難敵だと思っていたし、今でも思ってる。厳しい性格をした強烈なアスリートだ。一緒にショーに出たことはあるけど、どこかに一緒に行くなんてことはない。
(今回のプログラムはオリンピック優勝に向けて研ぎすまされてるんだろうな?)
まだそのことについて語るのは早い。まずはオリンピックに出られるようにならないと。グランプリに出て、ロシア選手権で優勝して、それからだ。残念ながらここ数シーズンの世界選手権で上手く行ってなかったから、男子はソチへの切符は1枚しかないんだ。まずはオリンピック代表に選ばれてから、4回転を何度入れるか見当をつけよう。今のところは回復を早めようというよりは落ち着いて練習をしているところだ。自分の体のことはわかってるからそれ以上の負担はかけないで、切り替えるようにしている。
(負傷後の最初の公式大会はいつ見れるのか)
リガで11月7日に出場する。笑っちゃうけど、国際大会に出る権利を獲得しなくちゃいけなんだ。そのためにはフリーで技術点のミニマムを取らないと。
(家族はみんな元気?)
何の問題もないよ、でも残念ながら僕は今ペテルブルクで、ヤナはモスクワに住んでるんだ。どちらもやることが多くて、なかなか会えない。でも彼女が支援してくれてると感じるし、ずっと連絡は取っている。1人じゃとてもつらい。1月に生まれたばかりの下の息子も僕には足りない。
(上の息子のエゴールがホッケーやってるって聞いたけど)
もうやってない。アスリート的で、サッカーもやってたんだけど、チームスポーツは合わないってわかったみたいだ。エゴールは個人主義者だからね。テニスを始めたけど、気に入ったみたいだ。
(お前自身もホッケーは追ってるんだろ?この前のワールド・チャンピオンシップは見た?)
ロシアがひどかったやつ?見たよ。悲しかったけど、オリンピックまでにはなんとかなるだろう。地元開催だしね。イリヤ・コヴァリチュクがペテルブルクに来たけど、そんなに簡単じゃないみたいだな。今はすべてがオリンピックだ。ロシアのホッケーは前へと進んでいて嬉しく思う。
(趣味も多いよな。今は何がブームなんだ?)
今はゴルフに夢中だよ、本当に好きになった。あと、ハンティングも楽しんでいる。本当に偶然だったんだけどね。ダーチャ(別荘)に行った時に掲示板を見て、電話してみたら、狩猟地がうちからすぐだったんだ。すぐに行って、ライセンスを取って、鴨狩りだ。ハンティングは日常から離れさせてくれるので強く惹かれてる。一日ずっと自然の中で過ごす。これ以上のことはあるかい?最近、鴨を3羽射ったはいいが1時間半も背の高い草むらを探さなくちゃいけなくなった。犬がいなかったからね。その休日だけで1.5キロ痩せたよ。
(ずっと前からユーロビジョンのことを聞きたかったんだ。5年経った今、ビラン(註:歌手)の曲への参加に同意したことを後悔してないか?)
なんで後悔しなくちゃならないんだ?そのときはアマチュアじゃなかったし、邪魔するものはなかった。戦闘状態の体重は70kgなんだけど、その時は82kgもあったんだよ、笑えるよね。アイディアが気に入ったんだ。でも、本物の氷で滑れると思ってたのに、実際は樹脂製のの狭いやつだったんだ。不快で頭にくるくらい嫌だったね。そうそう、その時面白かったのは、ジーマ(ビラン)がサビで違う方向に進んで僕の方に近づいて来ちゃったんだよ。ほら、ビランは素足だったから足の指をなくすとこだったんだ。カミソリみたいに研がれた僕のスケートが彼の足にどれだけ近かったことか。樹脂製のリンクだと止まれないんだよ、横滑りするから。今でも彼と会うとその時のことを思い出すんだ。でも結局ものすごい歓喜で、観客も手放しで喜んでくれたし、しかも優勝したからね。
(「第2のプルシェンコ」っていう言葉に何を感じる?最近の若手に見通しはあるか?)
僕の場所には、僕より優れたやつが来なくちゃいけないといつも言っていた。今、10-12歳くらいの才能ある男子がいるけど、誰がうまくいくかは言うのが難しい。今日の選手たちについて言えば、まだ時間が必要で、翼がまだ広がっていない。みんなに成功を祈るよ、新しい人が僕らには必要だ。
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