リーザことエリザヴェータ・トゥクタムィシェワのロング・インタビューを抄訳してみました。いつもはツイッターに簡易版を流してからブログにまとめているのですが、ちょっと長すぎるので、後半部分はブログに一挙掲載です。
ガチンスキーと一緒に滑ってはいるけどプルシェンコとは時間がずれてるんですね。まあ、ミーシンは1人ですからね。それにしてもインタビュアーがガンガン突っ込んでいてすごい。「コーチを変えるつもりはないのか」とか、「プルシェンコはオリンピックに行けると思う?」とか、中々聞けないことをズバッと聞いてます(答えは予想できるものですが)。
結構波が激しい感じの選手かと思っていましたが、自分ではそうではないと思っているようなのが意外でした。強がってるだけなのかも?
いいえ、これ以上難しくすることはしない。あとは滑りこむだけ。でも、もちろん確信してるわけじゃなくて、コーチにかかってるところが多いから。
(今年は両プログラムが似たようなテーマで、ラテンとスペイン音楽。去年はロマとタンゴだった。なにか他のテーマ、例えばクラシックとか試したくはなかった?)
クラシックを滑るのはずっと好きじゃなかった。子供の頃は、そんなこと関係なくて、単に音楽を与えられてそれだけだった。それからいろいろと尋ねるようになって、私が感じることのできる音楽とイメージを選ぶようになった。私はもしかするとアーティストの気質があって、観客に伝えることのできるイメージというのが絶対に必要なの。何かはっきりとしたものが。クラシックでも良いんだけど、なにか非常に強いもの、背筋がゾクゾクするようなものじゃなくちゃ。
(ライバルの滑りは見てる?)
いえ、見てない。誰がどう滑るかだいたいわかってるし、私はあまり関心ない。
(誰かこの人は良いというスケーターはいる?この人のようになりたいとか)
特にない。私にはアイドルはいないの。これまでずっと、子供の頃もいなかった。自分の顔というのが絶対に必要だと思う。私はずっと私で、私しかいない。他の人のプログラムを見たいという気持ちはなくて、それなら自分のを見たほうがいい。もしいつか誰かがそう思うのなら、私に似せてもらったらいい。
母がリンクサイドにいるのは好きじゃない。1度だけ、ずっとまえに来たことがある。グラゾフで滑るとき、ちょうど休みだったので父といっしょに来たの。そのときの滑りは良かったんだけど、ちょっと落ち着かなくて。私は子供の頃から自立していて、何でも自分でするのが好きだった。母はオリンピックにも来ないと思う。友達は大歓迎だけどね!フィギュアスケーターはいつもお互いに見られているから普通のことだし、もう慣れた。
(オリンピックに出場してメダルを取るのをお母さんは見たくないの?)
正直言うと、メダルは私には重要じゃないんだ。もちろん勝って、国歌が流されるのは嬉しいし、他では味わえない感動がある。でも私には良い滑りをして歓びを感じるのがもっと大切。それから、みんなに好きになってもらって、「そうそう、トゥクタムィシェワでしょ、知ってる!」って言ってもらえる事の方が。フィギュアスケートに何か自分の足あとを残して、トゥクタムィシェワっていうスケーターを覚えてもらえるようにしないとと思っている。
(リーザ・トゥクタムィシェワっていうスケーターを教えるのは楽なこと?)
そう思う。言われたことはいつもちゃんと聞いているもの。コーチの言うことも聞くし。練習ではばかな女の子にならないように、愚かな間違いをしないように努力してる。もし私がコーチだったら、私みたいなスケーターには喜ぶと思う。もちろん冗談。でも、そろそろ今後どうするか考えないとね。たぶん、レスガフト記念体育大学に行ってコーチか心理指導者を目指すと思う。
(以前も話したけど、あなたにスポーツ心理指導者は必要?)
いたら悪くないと思う。自分のことを知っていて、必要なときに助けてくれる人がいたら良いことでしょ。正しい言葉を言ってくれるかもしれない。誰も皆自分自身でコントロールできるとは限らないのだから。私達のグループにはメンタルトレーナーはいないけど、そういった専門家と一緒に練習するのは面白そう。
(練習にはアメとムチの2つのやり方があるけど、あなたにより合っているのはどっち?褒めるとの怒るのと)
怒るってのはないかもね。褒めてもらわないと。褒めてもらえると、羽根が生えたようになる。でも怒られると、あてつけにもっと悪くしたいと思っちゃう。子供の頃なんかとくにそんな性格だった。だからアレクセイ・ニコラエヴィチ・ミーシンとは楽なの。いつも怒らないで、どこがどう間違っていたかを説明してくれる。なんで怒ったりするのか全くわからない。間違いを説明してくれて、それだけ。またやって直すだけ。もし何も考えないで滑ってたら、コーチはただ「もう終わろう」と言うだけ。
ううん、そんなことない。なんで?自由時間に何をするかは自分がいちばんよく理解してるはず。重要なのは、大会に向けて体調と気分を整えることで、それまでになにをしようが自分の自由。自分のことは自分で責任を持つもの。そっちに行くな、それを使うななんて言われてみんな禁止されたら、オリンピックだって灰色の世界の人生になっちゃう。私は自分をいつもコントロールしている。頭がちゃんと体に付いているからね。そんな性格なの。
(「これが私の性格」とよく言うけど、スポーツに向く性格はどんなのだと思う?)
まずはっきりとしない人はダメ、確固たるものがないと。それから、物事を最後までやりきれること。私にとってスポーツ向きの性格の例は、ジェーニャ・プルシェンコね。あんな性格の人、他に見たことない。すごく強い人。女子は、それに加えていい意味でのいやらしさが必要だと思う。
誰がオリンピックに出るのかは、ロシア選手権と、1月にブダペストである欧州選手権で決まる。みんなチャンスは一緒。特に準備は変わらないし、プレッシャーも感じてない。いつもの練習生活。いずれにせよ、そういうこと全てから離れるよう努力している。私は、調子を狂わせるようなものが少ない人なんだと思う。考えないようにして、今あることから満足を得ようとしている。そうなったらそうなったで。でも、もちろん、素晴らしい演技をしてオリンピックに選ばれたらいいとは思ってる。今あるもので満足して、将来のことは予測しなくても良い。
(プルシェンコと一緒にリンクで滑ってるの?)
ううん、分かれてる。私とアルトゥル・ガチンスキーが先に滑って、ジェーニャは後。アレクセイ・ニコラエヴィチ(ミーシン)がそういう時間割にしてる。彼一人じゃ同時に全員とは練習できないもんね。でもジェーニャのプログラムは見た。素晴らしい音楽でとても好きになった。本当に本当に本気で練習してる。
(プルシェンコがオリンピックに出場できる可能性はどう思う?)
この人には不可能なことはない。もし彼がそうしたくてそう信じているなら、そうなる。自分を信じるのが重要。彼ができると信じていて知っているのなら、なんでもできる。
すごく良いリンクだと思う。更衣室、シャワールーム、ロビー、なんでもある。氷も良かったし。氷の質はすぐ感じられて、すごく違うと思った。柔らかくもなく、堅くもなく、フィギュアスケートにちょうど必要な感じ。でもやっぱり「ユビレイニー」の氷が最高。一番好き。ときどき、氷が柔らかすぎてくぼんでる大会もある。大会を終えて「ユビレイニー」に戻ってくると、どんなスピードでも楽に舞うことができる。何かに突き刺さったりしないってのが良い。
(オリンピックが人生の中でも重要な大会で、子供の頃からそれに出るのが夢だったっていうスケーターは多いけど、あなたも子供の頃から夢見てた?)
ううん!そんなこと考えたこともない。フィギュアスケートだって偶然始めたんだし。アレクセイ・ニコラエヴィチ(ミーシン)と練習を始めた時だってそんなこと思いもしなかった。ずっと人生の目的がオリンピックだなんて考えてたら気が狂いそう。オリンピックに出られたとしても、何位になるかは大切じゃなくて、大切なのは私にとっても観客にとってもそれが歓びであるということ。あと、オリンピックだったら国のために演技をするというのもある。ユーロでもそう感じたもの。でも滑っている時はもう何も考えてない。しかるべく演技をするだけ。でも、私は他の国の旗の下では演技できないと思うけど。
(国旗は変えられないとして、トレーナーはどう?)
アレクセイ・ニコラエヴィチ・ミーシンを誰と取り替えられると思ってるの?一番偉大なコーチなのに。最高だと思う。私のキャリアを終えるときもミーシンと一緒にいたい。
ガチンスキーと一緒に滑ってはいるけどプルシェンコとは時間がずれてるんですね。まあ、ミーシンは1人ですからね。それにしてもインタビュアーがガンガン突っ込んでいてすごい。「コーチを変えるつもりはないのか」とか、「プルシェンコはオリンピックに行けると思う?」とか、中々聞けないことをズバッと聞いてます(答えは予想できるものですが)。
結構波が激しい感じの選手かと思っていましたが、自分ではそうではないと思っているようなのが意外でした。強がってるだけなのかも?
エリザヴェータ・トゥクタムィシェワ「私が先で、プルシェンコは後」
2013/10/9 / アリーナ・ミトリャシナ / Sport Den Za Dnem
http://www.sportsdaily.ru/articles/ya-pervaya-plyuschenko-potom-57487他人のプログラムを見たくはない、自分のを見たほうが良い
(オリンピックのプログラムはもう完成したの?それともまだ詰めたり、難しくしたりする必要はある?)いいえ、これ以上難しくすることはしない。あとは滑りこむだけ。でも、もちろん確信してるわけじゃなくて、コーチにかかってるところが多いから。
(今年は両プログラムが似たようなテーマで、ラテンとスペイン音楽。去年はロマとタンゴだった。なにか他のテーマ、例えばクラシックとか試したくはなかった?)
クラシックを滑るのはずっと好きじゃなかった。子供の頃は、そんなこと関係なくて、単に音楽を与えられてそれだけだった。それからいろいろと尋ねるようになって、私が感じることのできる音楽とイメージを選ぶようになった。私はもしかするとアーティストの気質があって、観客に伝えることのできるイメージというのが絶対に必要なの。何かはっきりとしたものが。クラシックでも良いんだけど、なにか非常に強いもの、背筋がゾクゾクするようなものじゃなくちゃ。
(ライバルの滑りは見てる?)
いえ、見てない。誰がどう滑るかだいたいわかってるし、私はあまり関心ない。
(誰かこの人は良いというスケーターはいる?この人のようになりたいとか)
特にない。私にはアイドルはいないの。これまでずっと、子供の頃もいなかった。自分の顔というのが絶対に必要だと思う。私はずっと私で、私しかいない。他の人のプログラムを見たいという気持ちはなくて、それなら自分のを見たほうがいい。もしいつか誰かがそう思うのなら、私に似せてもらったらいい。
ばかな女の子にならないよう努力
(ファン以外にリンクサイドでいつも応援してくれている人はいる?お母さんとか、友達とか)母がリンクサイドにいるのは好きじゃない。1度だけ、ずっとまえに来たことがある。グラゾフで滑るとき、ちょうど休みだったので父といっしょに来たの。そのときの滑りは良かったんだけど、ちょっと落ち着かなくて。私は子供の頃から自立していて、何でも自分でするのが好きだった。母はオリンピックにも来ないと思う。友達は大歓迎だけどね!フィギュアスケーターはいつもお互いに見られているから普通のことだし、もう慣れた。
(オリンピックに出場してメダルを取るのをお母さんは見たくないの?)
正直言うと、メダルは私には重要じゃないんだ。もちろん勝って、国歌が流されるのは嬉しいし、他では味わえない感動がある。でも私には良い滑りをして歓びを感じるのがもっと大切。それから、みんなに好きになってもらって、「そうそう、トゥクタムィシェワでしょ、知ってる!」って言ってもらえる事の方が。フィギュアスケートに何か自分の足あとを残して、トゥクタムィシェワっていうスケーターを覚えてもらえるようにしないとと思っている。
(リーザ・トゥクタムィシェワっていうスケーターを教えるのは楽なこと?)
そう思う。言われたことはいつもちゃんと聞いているもの。コーチの言うことも聞くし。練習ではばかな女の子にならないように、愚かな間違いをしないように努力してる。もし私がコーチだったら、私みたいなスケーターには喜ぶと思う。もちろん冗談。でも、そろそろ今後どうするか考えないとね。たぶん、レスガフト記念体育大学に行ってコーチか心理指導者を目指すと思う。
(以前も話したけど、あなたにスポーツ心理指導者は必要?)
いたら悪くないと思う。自分のことを知っていて、必要なときに助けてくれる人がいたら良いことでしょ。正しい言葉を言ってくれるかもしれない。誰も皆自分自身でコントロールできるとは限らないのだから。私達のグループにはメンタルトレーナーはいないけど、そういった専門家と一緒に練習するのは面白そう。
(練習にはアメとムチの2つのやり方があるけど、あなたにより合っているのはどっち?褒めるとの怒るのと)
怒るってのはないかもね。褒めてもらわないと。褒めてもらえると、羽根が生えたようになる。でも怒られると、あてつけにもっと悪くしたいと思っちゃう。子供の頃なんかとくにそんな性格だった。だからアレクセイ・ニコラエヴィチ・ミーシンとは楽なの。いつも怒らないで、どこがどう間違っていたかを説明してくれる。なんで怒ったりするのか全くわからない。間違いを説明してくれて、それだけ。またやって直すだけ。もし何も考えないで滑ってたら、コーチはただ「もう終わろう」と言うだけ。
オリンピックに出られたって灰色な人生
(重要な大会前はソーシャルメディアを禁止するコーチも多いようだけど)ううん、そんなことない。なんで?自由時間に何をするかは自分がいちばんよく理解してるはず。重要なのは、大会に向けて体調と気分を整えることで、それまでになにをしようが自分の自由。自分のことは自分で責任を持つもの。そっちに行くな、それを使うななんて言われてみんな禁止されたら、オリンピックだって灰色の世界の人生になっちゃう。私は自分をいつもコントロールしている。頭がちゃんと体に付いているからね。そんな性格なの。
(「これが私の性格」とよく言うけど、スポーツに向く性格はどんなのだと思う?)
まずはっきりとしない人はダメ、確固たるものがないと。それから、物事を最後までやりきれること。私にとってスポーツ向きの性格の例は、ジェーニャ・プルシェンコね。あんな性格の人、他に見たことない。すごく強い人。女子は、それに加えていい意味でのいやらしさが必要だと思う。
ジェーニャは信じてるし、知っている
(オリンピックの話に戻ると、準備はどう?)誰がオリンピックに出るのかは、ロシア選手権と、1月にブダペストである欧州選手権で決まる。みんなチャンスは一緒。特に準備は変わらないし、プレッシャーも感じてない。いつもの練習生活。いずれにせよ、そういうこと全てから離れるよう努力している。私は、調子を狂わせるようなものが少ない人なんだと思う。考えないようにして、今あることから満足を得ようとしている。そうなったらそうなったで。でも、もちろん、素晴らしい演技をしてオリンピックに選ばれたらいいとは思ってる。今あるもので満足して、将来のことは予測しなくても良い。
(プルシェンコと一緒にリンクで滑ってるの?)
ううん、分かれてる。私とアルトゥル・ガチンスキーが先に滑って、ジェーニャは後。アレクセイ・ニコラエヴィチ(ミーシン)がそういう時間割にしてる。彼一人じゃ同時に全員とは練習できないもんね。でもジェーニャのプログラムは見た。素晴らしい音楽でとても好きになった。本当に本当に本気で練習してる。
(プルシェンコがオリンピックに出場できる可能性はどう思う?)
この人には不可能なことはない。もし彼がそうしたくてそう信じているなら、そうなる。自分を信じるのが重要。彼ができると信じていて知っているのなら、なんでもできる。
「ユビレイニー」リンクの氷の方がソチより良い
(もうソチで滑っていたけど、スケーターにとって条件はどう?)すごく良いリンクだと思う。更衣室、シャワールーム、ロビー、なんでもある。氷も良かったし。氷の質はすぐ感じられて、すごく違うと思った。柔らかくもなく、堅くもなく、フィギュアスケートにちょうど必要な感じ。でもやっぱり「ユビレイニー」の氷が最高。一番好き。ときどき、氷が柔らかすぎてくぼんでる大会もある。大会を終えて「ユビレイニー」に戻ってくると、どんなスピードでも楽に舞うことができる。何かに突き刺さったりしないってのが良い。
(オリンピックが人生の中でも重要な大会で、子供の頃からそれに出るのが夢だったっていうスケーターは多いけど、あなたも子供の頃から夢見てた?)
ううん!そんなこと考えたこともない。フィギュアスケートだって偶然始めたんだし。アレクセイ・ニコラエヴィチ(ミーシン)と練習を始めた時だってそんなこと思いもしなかった。ずっと人生の目的がオリンピックだなんて考えてたら気が狂いそう。オリンピックに出られたとしても、何位になるかは大切じゃなくて、大切なのは私にとっても観客にとってもそれが歓びであるということ。あと、オリンピックだったら国のために演技をするというのもある。ユーロでもそう感じたもの。でも滑っている時はもう何も考えてない。しかるべく演技をするだけ。でも、私は他の国の旗の下では演技できないと思うけど。
(国旗は変えられないとして、トレーナーはどう?)
アレクセイ・ニコラエヴィチ・ミーシンを誰と取り替えられると思ってるの?一番偉大なコーチなのに。最高だと思う。私のキャリアを終えるときもミーシンと一緒にいたい。
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