膝の靭帯を怪我した川口・スミルノフ組のスミルノフが、インタビューに答えていました。長めのインタですが抄訳してみました。
怪我した時の描写が結構きついものがありますので、そういうのが苦手な方は最後の段落でさらっと現役続行宣言しているのでそこだけ読んでください。
でも、現役続行宣言は嬉しいですね!
しかし、中々の待遇で対処されたようです。良かった良かった。
ちょっとタイトルがミスリード(というか、インタビュアーがミスリードしてる)です。実際は、もし五輪に間に合わなかったらワールドに向けて調整すると、ちょっとふざけて言っているかんじですね。
エレナ・ヴァイツェホフスカヤ / Sport Express
2013/10/14
昨日はもっとひどかった。両脚で立って、窓まで何歩か歩いて戻ってくるだけでひどく疲れた。最初に縫った所を見ても肯定的にはなれなかったよ。傷は20cmもあって、縫い目は恐ろしいくらい醜くて太いんだ。でも今日は全然違う。痛みはほとんどなくて、むくみも大きくないし、縫い目もぜんぜん違うんだよ、もっと控えめな感じだった。
(光学的な手術法とかは最初から検討されていなかったの?
それはなかった。僕の手術をしてくれたピーテル・ビベルタレルは、最小限の切り口を考えていたんだ。スポーツ最速で戻れるようにね。でも手術は難しかった。靭帯が切れた時、膝の皿が上に行きすぎてしまったみたいなんだ。それを引っ張ってきて元のところに繋げる際に、この大きさで切るしかなかった。切れた靭帯は2つの特殊なボルトで固定して、その他にもいくつかの部分で骨に穴を開ける必要があった。人工的な繊維か何かで靭帯を強化できたのかどうかはまだ聞けてない。
手術の状況については医者はすごく満足だと言っていた。僕の体の状態と、特に脚の筋肉の状況を考えると、すぐに良くなって後遺症もないと言っていた。
(どうしてなにもないところで怪我なんか)
何にもないところじゃないよ。膝にはもうずっと悩まされてきたんだ。この前のワールド前にも脚がずっとひどくむくんでた。だから、いつも痛み止めの注射を売って滑ることに慣れてたよ。このシーズンは、ソチのテストスケート後すぐにマクシム・ストラホフ外傷専門医を僕につけてもらったくらい。本当に彼のお陰で僕はほとんど心配せずに滑れるようになったんだ。今も彼はここミュンヘンにいるよ。怪我をしてすぐに彼にも伝えられて、膝関節の学会が行われていたワルシャワからこの病院に飛んできたんだ。でも、靭帯が持たないなんて誰も予想もしてなかった。結構な頻度でやっている検査の結果でも、この怪我はまったく予想できなかった。僕自身もまだ全く理解してない。ジャンプして、うまく着地できるなと空中にいる間に思えたのに、突然バキッと音がして、まるで膝が反対側に大きく曲がってしまったようだった。
本当に恐ろしくて、まさに恐怖で氷上に倒れこんだんだ。痛みはその時はまだ全く感じられなかった。数秒後にはもう脚がないように感じられた。指は少し動かせるんだけど、膝を曲げるのは手で引っ張らないといけなかった。
最初は多分ショックだった。まずは観客を驚かせないためにリンクから運び出されるんだろうな、とだけ思った。それからはもうひどくて・・・一晩中寝られなかった。目を閉じるとジャンプに入った時の感覚が全て戻ってくる。それから、はぜる音、転倒…。またジャンプに入って、またはぜる音。
医者にはお世話になった。金曜日にはもうどんな決定にでも対応できる準備があった。サンクト・ペテルブルクでの手術でも、モスクワから外科医を呼ぶのでも、外国に行って手術をすることでも。僕のいないところで全部決まったんだけどね。金曜日は29歳の誕生日をお祝いして、土曜の朝には車が来て空港に連れて行かれた。
特別機で飛んだんだけど、正直言うと、人生でこんなに快適に飛行機に乗ったことはなかった。ロシアのパスポートコントロールは救急車に乗ってきたし、ドイツのは機内でやったんだよ。着陸して2時間後にはもう手術台の上さ。
(回復については医者はなにか言っていた?)
まだ何も。あまりにもかかっている要素が多すぎる。医者自身は、僕がスポーツに戻ることに何の障害もないと考えている。問題は、それがどのくらい早くできるかだけだ。知っての通り、僕自身もこの件についてより正確な情報が欲しいと思っている。だけど、回復の仕方はそれぞれ違うらしい。2日目で立てる人もいれば、1週間かかる人もいる。例えばは、膝の屈伸は手術後1ヶ月半から始められると言われてたけど、もっと早く回復した例もある。近く、脚の副え木が替えられる。今は真っ直ぐで膝がほとんど曲がらない様になってるんだけど、回復に応じて可動式のものに替えられる。でもたった2日だけでも、かなり早いテンポで膝の状態が良くなっているのはわかる。
わかっていることは、僕からは回復期間が最小限になるようなんでもするということだけだ。手術の次の日から実質的に回復のプロセスが始まった。体の状態を管理するためにちょくちょく採血されていて、近いうちにリハビリセンターに移され全ての治療が始まる。暫定的な診断では、ミュンヘンで1ヶ月過ごすことになる。
(あなたがどれだけきっちりと医者のいうことをきけるかに多くのことがかかっているのね。しかも怪我をした脚だけでなく体全体の筋肉も鍛えなくちゃいけないし)
まさにこの脚がここ数年の弱点だったんだ。いつも痛みを抱えながら練習していたし、タマラ・ニコラエヴナ(モスクヴィナ)さえ僕に追加で負荷をかけることを恐れていたんだ。筋肉も弱くなってきている。これからは良い方向に向かうしかないね。オリンピック前に怪我をすることを悔しい物はないよ。
(残った時間で回復が間に合わない可能性もあるでしょ?)
だったら、ワールドまでに回復できるよう努力するよ。それから、悠子と決めたんだけど、ソチの後も滑り続ける。
※元記事リンク切れ
怪我した時の描写が結構きついものがありますので、そういうのが苦手な方は最後の段落でさらっと現役続行宣言しているのでそこだけ読んでください。
でも、現役続行宣言は嬉しいですね!
しかし、中々の待遇で対処されたようです。良かった良かった。
ちょっとタイトルがミスリード(というか、インタビュアーがミスリードしてる)です。実際は、もし五輪に間に合わなかったらワールドに向けて調整すると、ちょっとふざけて言っているかんじですね。
アレクサンドル・スミルノフ「もしかすると、オリンピックの代わりにワールドに向けて調整するかも」
http://winter.sport-express.ru/figureskating/reviews/36780/エレナ・ヴァイツェホフスカヤ / Sport Express
2013/10/14
昨日はもっとひどかった。両脚で立って、窓まで何歩か歩いて戻ってくるだけでひどく疲れた。最初に縫った所を見ても肯定的にはなれなかったよ。傷は20cmもあって、縫い目は恐ろしいくらい醜くて太いんだ。でも今日は全然違う。痛みはほとんどなくて、むくみも大きくないし、縫い目もぜんぜん違うんだよ、もっと控えめな感じだった。
(光学的な手術法とかは最初から検討されていなかったの?
それはなかった。僕の手術をしてくれたピーテル・ビベルタレルは、最小限の切り口を考えていたんだ。スポーツ最速で戻れるようにね。でも手術は難しかった。靭帯が切れた時、膝の皿が上に行きすぎてしまったみたいなんだ。それを引っ張ってきて元のところに繋げる際に、この大きさで切るしかなかった。切れた靭帯は2つの特殊なボルトで固定して、その他にもいくつかの部分で骨に穴を開ける必要があった。人工的な繊維か何かで靭帯を強化できたのかどうかはまだ聞けてない。
手術の状況については医者はすごく満足だと言っていた。僕の体の状態と、特に脚の筋肉の状況を考えると、すぐに良くなって後遺症もないと言っていた。
(どうしてなにもないところで怪我なんか)
何にもないところじゃないよ。膝にはもうずっと悩まされてきたんだ。この前のワールド前にも脚がずっとひどくむくんでた。だから、いつも痛み止めの注射を売って滑ることに慣れてたよ。このシーズンは、ソチのテストスケート後すぐにマクシム・ストラホフ外傷専門医を僕につけてもらったくらい。本当に彼のお陰で僕はほとんど心配せずに滑れるようになったんだ。今も彼はここミュンヘンにいるよ。怪我をしてすぐに彼にも伝えられて、膝関節の学会が行われていたワルシャワからこの病院に飛んできたんだ。でも、靭帯が持たないなんて誰も予想もしてなかった。結構な頻度でやっている検査の結果でも、この怪我はまったく予想できなかった。僕自身もまだ全く理解してない。ジャンプして、うまく着地できるなと空中にいる間に思えたのに、突然バキッと音がして、まるで膝が反対側に大きく曲がってしまったようだった。
本当に恐ろしくて、まさに恐怖で氷上に倒れこんだんだ。痛みはその時はまだ全く感じられなかった。数秒後にはもう脚がないように感じられた。指は少し動かせるんだけど、膝を曲げるのは手で引っ張らないといけなかった。
最初は多分ショックだった。まずは観客を驚かせないためにリンクから運び出されるんだろうな、とだけ思った。それからはもうひどくて・・・一晩中寝られなかった。目を閉じるとジャンプに入った時の感覚が全て戻ってくる。それから、はぜる音、転倒…。またジャンプに入って、またはぜる音。
医者にはお世話になった。金曜日にはもうどんな決定にでも対応できる準備があった。サンクト・ペテルブルクでの手術でも、モスクワから外科医を呼ぶのでも、外国に行って手術をすることでも。僕のいないところで全部決まったんだけどね。金曜日は29歳の誕生日をお祝いして、土曜の朝には車が来て空港に連れて行かれた。
特別機で飛んだんだけど、正直言うと、人生でこんなに快適に飛行機に乗ったことはなかった。ロシアのパスポートコントロールは救急車に乗ってきたし、ドイツのは機内でやったんだよ。着陸して2時間後にはもう手術台の上さ。
(回復については医者はなにか言っていた?)
まだ何も。あまりにもかかっている要素が多すぎる。医者自身は、僕がスポーツに戻ることに何の障害もないと考えている。問題は、それがどのくらい早くできるかだけだ。知っての通り、僕自身もこの件についてより正確な情報が欲しいと思っている。だけど、回復の仕方はそれぞれ違うらしい。2日目で立てる人もいれば、1週間かかる人もいる。例えばは、膝の屈伸は手術後1ヶ月半から始められると言われてたけど、もっと早く回復した例もある。近く、脚の副え木が替えられる。今は真っ直ぐで膝がほとんど曲がらない様になってるんだけど、回復に応じて可動式のものに替えられる。でもたった2日だけでも、かなり早いテンポで膝の状態が良くなっているのはわかる。
わかっていることは、僕からは回復期間が最小限になるようなんでもするということだけだ。手術の次の日から実質的に回復のプロセスが始まった。体の状態を管理するためにちょくちょく採血されていて、近いうちにリハビリセンターに移され全ての治療が始まる。暫定的な診断では、ミュンヘンで1ヶ月過ごすことになる。
(あなたがどれだけきっちりと医者のいうことをきけるかに多くのことがかかっているのね。しかも怪我をした脚だけでなく体全体の筋肉も鍛えなくちゃいけないし)
まさにこの脚がここ数年の弱点だったんだ。いつも痛みを抱えながら練習していたし、タマラ・ニコラエヴナ(モスクヴィナ)さえ僕に追加で負荷をかけることを恐れていたんだ。筋肉も弱くなってきている。これからは良い方向に向かうしかないね。オリンピック前に怪我をすることを悔しい物はないよ。
(残った時間で回復が間に合わない可能性もあるでしょ?)
だったら、ワールドまでに回復できるよう努力するよ。それから、悠子と決めたんだけど、ソチの後も滑り続ける。
※元記事リンク切れ
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