エリザヴェータ・トゥクタムィシェワのロングインタビューがR-Sportに掲載されていたので、4回か5回に分けて紹介します。初回の今回は、メイクのことや新プロ情報、キャリア、3度目となるオリンピック挑戦についてです。
エリザヴェータ・トゥクタムィシェワ:オリンピックへの3度めの挑戦は、ある!
(1)新プログラムとオリンピック挑戦 ← この記事
(2)トゥトベリゼ・グループとの競争、国籍変更とヌード撮影
(3)コメンテーターと引退
(4)理想の男性と理想の休暇
5/21発売 ICE PRINCE フィギュアスケート
ワシーリー・コノフ / R-Sport / 2020/5/7
※記者の質問については抄訳
(大会用のメイクは、リンクイン前にどのくらいの時間がかかるのでしょうか。)
みなさんそれぞれで、長い人もいれば短い人もいます。私はだいたい1時間くらい、少なくとも45分くらいかけています。メイクアップと髪型の両方でです。
(ご自身ですべてなさるのですか?)
ええ、いつもそうです。ある意味で大会前の儀式みたいなもので、もう絶対にしなくてはいけないものです。そうでないと何かがうまくいきません。
(メイクはどこかで習ったのでしょうか、それとも自然と?)
女の子はみんな自分で、トライアンドエラーで勉強していると思います。ただ、私は子供の頃からこういったことが好きで、強く惹かれるところがあったので、すぐに覚えました。
(一番大きな問題は何でしたか?)
たぶん、アイラインです(笑)。どんな女の子でも、アイラインを描くのが一番難しいんじゃないかと思います。
(隔離状況の中で、ユーラ・スメカロフと一緒にすばらしいフリープログラム創造をされましたが、どなたのアイディアだったのでしょうか。)
ユーリーのアイディアです。私の人生にこのようなクリエティブな振付師が現れたことに感謝します。フィギュアスケートでは、来シーズンのプログラムがどんなものになるのか、曲は何か、どんな衣装といったことを隠したり、言わずにおいておくことが普通ですので、私からはこういったアイディアを期待するのは難しかったことでしょう。今回は、すべて開けっぴろげで、すべてをさらけ出しているだけでなく、視聴者自身が参加できるのです。
(このチャレンジへの参加者は多かったのでしょうか?)
ええ、かなりコメントは多くて、正直に言うと数えていませんでした。ただただクリエイティブで、素晴らしい踊りを見せてくれた優勝者3名を選びました。
(ミーシン・コーチは何かおっしゃいましたか?)
将来のプログラムは見せないほうが良いという、長年のフィギュアスケート界の普遍性に基づいて、コーチは一定の懐疑的な態度でした。しかし、アレクセイ・ニコラエヴィチ(ミーシン)はイノベーターですし、彼を教授と呼ぶのも理由があることで、この勇気ある行動を決断してくれて、すぐに意見を変えてくれてこのプロジェクトのローンチを認めてくれました。
(スメカロフからは、なぜ「スパルタクス」ではなかったのでしょうか。アジアの踊りというサプライズではなく、まさにバレエ・ナンバーを期待する方が論理的ではなかったのですか?)(訳注:リーザの来シーズンのSPはスパルタクスと発表されている)
最初に、イタリアのある振付師に依頼していて、ユーラに振付を依頼するようになる前に彼らが「スパルタクス」を提案してきたのです。ですのでこうなりました。しかし、振付師のみなさんが課題に素晴らしく取り組んでくれたことを、私はまったく後悔していません。
(ユーラとの振付はアジアの踊りになったということで良いのでしょうか。)
日本のものです。
(特に腕を重ねるところは、何かインドの踊りのほうに似ているように視覚的には見えましたが。)
インドのものは、やはり腰部や体幹がより柔らかで、腕の組み方が一定です。こちらはより激しい動きがあります。自然なところも、柔らかなところもありますが、やはり日本の舞踊です。
(「ゼニット」(サッカーチーム))のファンが突然シーズン中「スパルタック」の旗の下に入るんですね。)
(笑)振付を見てもらったら許してもらえると思います。
(リーザはどのようにグラゾフからサンクトペテルブルクに来ることになったのでしょうか。)
すべて段階的に起こったことです。つまり、最初の4年くらいは通っていて、たしか14歳くらいのときに、最終的に家族と一緒に夏にサンクトペテルブルクに引っ越しました。
(つまり、ペテルブルクに引っ越したのは、武器庫に3回転ジャンプすべてがもうあった頃になりますね。)
はい。私が初めてシニアに出場したシーズンの前でした。つまり、シーズンはジュニアでしたが、シニアのグランプリに出始めて、グランプリファイナルにも出られました。このシーズンの前にペテルブルクに引っ越しました。
(その頃はまだ若かったですが、ウルトラCをしていると意識していましたか?)
12歳のときはトリプルアクセルをプログラムに入れておらず、練習だけで跳んでいました。必要がなかったので。3-3をプログラムに入れて跳んでいる選手も少なかったのです。とはいえ、これはウルトラCとは考えられていなかったので、「ワオ」と驚かせる効果はありませんでした。
(その「ワオ」効果が出たのはいつですか?)
世界選手権でトリプルアクセルを入れたショートをクリーンに滑りきったときだと思います。
(2015年の。)
はい。
(キャリア史上の最高の年になったと。)
私は、ここ2年がキャリア史上最高でした。つまり、2015年は成績で最高の年になりましたが、競技上のコンディション、氷上でのスケーティング、技術構成ではここ2年が最高でした。つまり、ここ2年のようなコンディションにこれまであったことはありませんでした。
(そのコンディションを維持する力はどれくらい長く持ちそうですか?)
どこまで持つか、わかりません、見てみましょう(笑)。でも今は、ほら、隔離状況ですから、ちょっとだけ休憩するにはうってつけのようです。
(休止が1ヶ月以上になりましたが、フロアでのジャンプと氷上のジャンプを比べるのには意味はありませんね。)
ええ、もちろんそうですが、いずれにせよ選手には休暇のための休止が2週間や2週間あるとは思います。ですので、例えば、せめて前庭でスピナーでなんとか練習したり、家の中でなんとか回ったりする機会さえあれば、リンクに戻ってもそんなに大きな穴にはなりません。いずれにせよ、ちょっとは何らかのコンディション、マッスルメモリーが維持されます。これは、例えば病気の後とか、手術後に半年休んでいた後とは違います。いまは、みんなトレーニングをして、もうすぐリンクに戻るとわかっています。リラックスしてはいけない、もうすぐコンディションを戻す必要がある、こんなに長いこと練習していないのだから、と脳はもう強調していますし、完全にリラックスしてはいけないと脳は理解しているところから、演技、フィギュアスケートを見る、ということが機能しています。もちろん、新しいシーズンで、すべてが新たにゼロから始まるのです。
(シーズンがこんなことになり、世界選手権が秋に延期ではなく単に中止になったことはどう思われますか?)
肯定的です。というのは、新しいシーズンで、選手がどんなプログラムで演技できるかということが、私ににとってはあまりわかららないので、世界選手権を秋に開催するのは理にかなっていないと思います。滑りきれていない新しいプロや、忘れられた古いプロを見せるのでしょうか?問題です。ですので、いまはパスして、来シーズンの最後にいつもどおりに世界選手権を行う方が良いのです。
(いまは、オリンピック選考前のあたための状況にあります。あなたはいまのところオリンピックとはうまくいっていません。挑戦はもう一度ありますか?)
もう一度は確実にあります。つまり、最大限に強化された挑戦です(笑)!オリンピックへのスパートと言えるでしょう。3回目はうまくいくよう、最大限の努力をします。
(いま、あなたのことをロシアのフィギュアスケート代表チームの最高齢の選手だと言われるのは悔しくないですか?)
いえ、悔しくありませんし、ある程度嬉しいことでさえあります。この年齢まで生き延びて、かつ競争力を持ち続けることができる選手は少ないですから。
(一方で、女帝はこんなに若くはありえない、ということも正しいですよね。)
それももちろん正しいことです(笑)。
(続く)
エリザヴェータ・トゥクタムィシェワ:オリンピックへの3度めの挑戦は、ある!
(1)新プログラムとオリンピック挑戦 ← この記事
(2)トゥトベリゼ・グループとの競争、国籍変更とヌード撮影
(3)コメンテーターと引退
(4)理想の男性と理想の休暇
5/21発売 ICE PRINCE フィギュアスケート
エリザヴェータ・トゥクタムィシェワ:オリンピックへの3度めの挑戦は、ある!
https://rsport.ria.ru/20200507/1571058960.htmlワシーリー・コノフ / R-Sport / 2020/5/7
※記者の質問については抄訳
(大会用のメイクは、リンクイン前にどのくらいの時間がかかるのでしょうか。)
みなさんそれぞれで、長い人もいれば短い人もいます。私はだいたい1時間くらい、少なくとも45分くらいかけています。メイクアップと髪型の両方でです。
(ご自身ですべてなさるのですか?)
ええ、いつもそうです。ある意味で大会前の儀式みたいなもので、もう絶対にしなくてはいけないものです。そうでないと何かがうまくいきません。
(メイクはどこかで習ったのでしょうか、それとも自然と?)
女の子はみんな自分で、トライアンドエラーで勉強していると思います。ただ、私は子供の頃からこういったことが好きで、強く惹かれるところがあったので、すぐに覚えました。
(一番大きな問題は何でしたか?)
たぶん、アイラインです(笑)。どんな女の子でも、アイラインを描くのが一番難しいんじゃないかと思います。
オンラインでのシーズン準備
(隔離状況の中で、ユーラ・スメカロフと一緒にすばらしいフリープログラム創造をされましたが、どなたのアイディアだったのでしょうか。)
ユーリーのアイディアです。私の人生にこのようなクリエティブな振付師が現れたことに感謝します。フィギュアスケートでは、来シーズンのプログラムがどんなものになるのか、曲は何か、どんな衣装といったことを隠したり、言わずにおいておくことが普通ですので、私からはこういったアイディアを期待するのは難しかったことでしょう。今回は、すべて開けっぴろげで、すべてをさらけ出しているだけでなく、視聴者自身が参加できるのです。
(このチャレンジへの参加者は多かったのでしょうか?)
ええ、かなりコメントは多くて、正直に言うと数えていませんでした。ただただクリエイティブで、素晴らしい踊りを見せてくれた優勝者3名を選びました。
(ミーシン・コーチは何かおっしゃいましたか?)
将来のプログラムは見せないほうが良いという、長年のフィギュアスケート界の普遍性に基づいて、コーチは一定の懐疑的な態度でした。しかし、アレクセイ・ニコラエヴィチ(ミーシン)はイノベーターですし、彼を教授と呼ぶのも理由があることで、この勇気ある行動を決断してくれて、すぐに意見を変えてくれてこのプロジェクトのローンチを認めてくれました。
(スメカロフからは、なぜ「スパルタクス」ではなかったのでしょうか。アジアの踊りというサプライズではなく、まさにバレエ・ナンバーを期待する方が論理的ではなかったのですか?)(訳注:リーザの来シーズンのSPはスパルタクスと発表されている)
最初に、イタリアのある振付師に依頼していて、ユーラに振付を依頼するようになる前に彼らが「スパルタクス」を提案してきたのです。ですのでこうなりました。しかし、振付師のみなさんが課題に素晴らしく取り組んでくれたことを、私はまったく後悔していません。
(ユーラとの振付はアジアの踊りになったということで良いのでしょうか。)
日本のものです。
(特に腕を重ねるところは、何かインドの踊りのほうに似ているように視覚的には見えましたが。)
インドのものは、やはり腰部や体幹がより柔らかで、腕の組み方が一定です。こちらはより激しい動きがあります。自然なところも、柔らかなところもありますが、やはり日本の舞踊です。
(「ゼニット」(サッカーチーム))のファンが突然シーズン中「スパルタック」の旗の下に入るんですね。)
(笑)振付を見てもらったら許してもらえると思います。
グラゾフからペテルブルクへ
(リーザはどのようにグラゾフからサンクトペテルブルクに来ることになったのでしょうか。)
すべて段階的に起こったことです。つまり、最初の4年くらいは通っていて、たしか14歳くらいのときに、最終的に家族と一緒に夏にサンクトペテルブルクに引っ越しました。
(つまり、ペテルブルクに引っ越したのは、武器庫に3回転ジャンプすべてがもうあった頃になりますね。)
はい。私が初めてシニアに出場したシーズンの前でした。つまり、シーズンはジュニアでしたが、シニアのグランプリに出始めて、グランプリファイナルにも出られました。このシーズンの前にペテルブルクに引っ越しました。
(その頃はまだ若かったですが、ウルトラCをしていると意識していましたか?)
12歳のときはトリプルアクセルをプログラムに入れておらず、練習だけで跳んでいました。必要がなかったので。3-3をプログラムに入れて跳んでいる選手も少なかったのです。とはいえ、これはウルトラCとは考えられていなかったので、「ワオ」と驚かせる効果はありませんでした。
(その「ワオ」効果が出たのはいつですか?)
世界選手権でトリプルアクセルを入れたショートをクリーンに滑りきったときだと思います。
(2015年の。)
はい。
(キャリア史上の最高の年になったと。)
私は、ここ2年がキャリア史上最高でした。つまり、2015年は成績で最高の年になりましたが、競技上のコンディション、氷上でのスケーティング、技術構成ではここ2年が最高でした。つまり、ここ2年のようなコンディションにこれまであったことはありませんでした。
(そのコンディションを維持する力はどれくらい長く持ちそうですか?)
どこまで持つか、わかりません、見てみましょう(笑)。でも今は、ほら、隔離状況ですから、ちょっとだけ休憩するにはうってつけのようです。
オリンピックへの3度めの挑戦
(休止が1ヶ月以上になりましたが、フロアでのジャンプと氷上のジャンプを比べるのには意味はありませんね。)
ええ、もちろんそうですが、いずれにせよ選手には休暇のための休止が2週間や2週間あるとは思います。ですので、例えば、せめて前庭でスピナーでなんとか練習したり、家の中でなんとか回ったりする機会さえあれば、リンクに戻ってもそんなに大きな穴にはなりません。いずれにせよ、ちょっとは何らかのコンディション、マッスルメモリーが維持されます。これは、例えば病気の後とか、手術後に半年休んでいた後とは違います。いまは、みんなトレーニングをして、もうすぐリンクに戻るとわかっています。リラックスしてはいけない、もうすぐコンディションを戻す必要がある、こんなに長いこと練習していないのだから、と脳はもう強調していますし、完全にリラックスしてはいけないと脳は理解しているところから、演技、フィギュアスケートを見る、ということが機能しています。もちろん、新しいシーズンで、すべてが新たにゼロから始まるのです。
(シーズンがこんなことになり、世界選手権が秋に延期ではなく単に中止になったことはどう思われますか?)
肯定的です。というのは、新しいシーズンで、選手がどんなプログラムで演技できるかということが、私ににとってはあまりわかららないので、世界選手権を秋に開催するのは理にかなっていないと思います。滑りきれていない新しいプロや、忘れられた古いプロを見せるのでしょうか?問題です。ですので、いまはパスして、来シーズンの最後にいつもどおりに世界選手権を行う方が良いのです。
(いまは、オリンピック選考前のあたための状況にあります。あなたはいまのところオリンピックとはうまくいっていません。挑戦はもう一度ありますか?)
もう一度は確実にあります。つまり、最大限に強化された挑戦です(笑)!オリンピックへのスパートと言えるでしょう。3回目はうまくいくよう、最大限の努力をします。
(いま、あなたのことをロシアのフィギュアスケート代表チームの最高齢の選手だと言われるのは悔しくないですか?)
いえ、悔しくありませんし、ある程度嬉しいことでさえあります。この年齢まで生き延びて、かつ競争力を持ち続けることができる選手は少ないですから。
(一方で、女帝はこんなに若くはありえない、ということも正しいですよね。)
それももちろん正しいことです(笑)。
(続く)
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