ロシア選手権を欠場して以来、動向があまり報道されていなかったセルゲイ・ヴォロノフが、Match TVにロングインタビューをしていましたので、数回に分けて紹介します。結構長いので、5-6回になりそうです。各章タイトルは管理人が付けていますが、暫定的なもので変わる可能性が高いです。
※追記(4/11):完結しました!
(セルゲイ、最近ではサランスクでのロシア選手権であなたを見られると思っていました。しかし練習には姿を現さず、後になって怪我のニュースがありました。その時なにがあったのでしょうか。)
(起き上がる能力というのは、年齢とともに汲み上げられる精神的な習慣だという考えに同意されますか?生まれついた資質ではなく)
※追記(4/11):完結しました!
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「自分のためというよりも、デニス・テンの記憶のために滑っている」セルゲイ・ヴォロノフ、ロングインタビュー
アナスタシヤ・パニナ / 2019/4/3 / Match TV
4/24発売 宇都宮直子 / スケートは人生だ!
(セルゲイ、最近ではサランスクでのロシア選手権であなたを見られると思っていました。しかし練習には姿を現さず、後になって怪我のニュースがありました。その時なにがあったのでしょうか。)
もちろん一番楽しいものとは言えないテーマから始めるんですね、でも本当のことを言うしかありません。シーズンの前半はうまく、充実して過ごせました。手にはサランスク行きの航空券がありました。ロシア選手権には、夜23時のフライトで行くはずでした。チームのみんなと一緒というわけではなく、もっと遅い便でした。アエロフロートのチケットがもうなかったのです。
朝の練習は問題なくできて、夜はただちょっと滑るだけにしました。ホールに来てウォームアップをしていたら、ジャンプを変に着地してしまいました。その膝は定期的に痛むのです。経過観察が必要な慢性的な怪我の影響です。しかし、おそらく、その瞬間にかかった負荷で、身体が単純に耐えきれなくなったのでしょう。たった一度の変な動きで、再発してしまいました。言うまでもなく、残念です。歴史にもしもはありませんが、今シーズン成すべきことができていれば、今回のように後半消えてしまうようなことはなかったでしょう。一方で、これはこうあるべきものであったということです。時は経過とともに癒やしてくれます。私は前を向いています。まだ滑りたいし、成すべきことがあります。
(つまり、今はもう問題なく練習されていると。)
はい、まったく問題なく。症状の悪化もまったくなく、回復のためには単に負荷から身体を休める必要があったということです。理論的には、サランスクで突進して演技してみることも可能でしたが、こういった怪我は、袋に隠れている猫のようなものなのです。悲しい結果にもなり得ました。今は練習していますし、複数の新しいプログラムを振り付けています。考えやアイディアはあります。将来、つまり来シーズンは、楽観主義と滑る意欲をもって見ています。私の状態と、現在の状況を考えると、意欲と新鮮さがいちばん大切なことだと思います。
(ナショナル前夜に怪我をして、事実上シーズンを早くも終えてしまった人間は、何を感じているのでしょうか。)
精神的荒廃です。シーズンずっと前へと進んで、進んで、そして決定的な境界線でつまづくのです。ちょっとだけ足りなかったのです。もう手が届くように思えたのに、不発なのです。そして、失望。グランプリ大会を通過し、グランプリファイナルを乗り越え、いつもとても暖かく迎えてくれる地元の観客の前で国内大会に出場できるところでした。ロシアで演技するのは好きです。しかし、そうはなりませんでした。ありがたいことに、なんとかその状況に耐え抜くことができました。時間が必要でした。転んでしまうことも、アスリートにはよくあることです。しかし大切なのは、起き上がること。言葉の上ではなく、実際に。
(起き上がる能力というのは、年齢とともに汲み上げられる精神的な習慣だという考えに同意されますか?生まれついた資質ではなく)
それは深く面白い質問です。50/50だと思います。一部は、その資質は元からあるかないかです。残りの部分は、生き抜いた経験の結果でしょう。
例えば、仕事は好きですか?そうであれば、毎日嫌々ながらではなく仕事をしているのでしょう。自分の仕事は、あるいはライフスタイルだと言えるかもしれませんが、簡単なものではありません。傍からは、すべて簡単で甘い物のように見えるかもしれません。いいえ、スポーツは大変な骨折りであり、大きな結果を残すことは、地獄のような努力と、付随する大きな問題群を意味します。問題は解決しなければならないし、その中に身を置かなければならないものです。しかし、そういった外側の部分を洗い流してしまえば、残るのは重要な部分です。そしてこの重要な部分を、人は愛し、そこから楽しさを受け取っているのか、あるいは何か他の満足を買うための方法でしかないか、のいずれかです。
滑ること、跳ぶことといったプロセス自体が好きでなかったら、こんな年齢まで滑り続けることも、これだけ多くの大会に出ることも、すべてに耐えることも絶対になかったでしょう。へとへとになる練習に始まり、大会のストレスフルな状況に終わるこのメカニズム全体が好きでなければ。
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