セルゲイ・ヴォロノフのロングインタ、第5回です。幼少時代の練習について語っています。
4/10発売 宇野昌磨の軌跡 泣き虫だった小学生が世界屈指の表現者になるまで
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「自分のためというよりも、デニス・テンの記憶のために滑っている」セルゲイ・ヴォロノフ、ロングインタビュー
アナスタシヤ・パニナ / 2019/4/3 / Match TV
4/10発売 宇野昌磨の軌跡 泣き虫だった小学生が世界屈指の表現者になるまで
(続き)
(あるインタビューで話されていましたが、10歳からご両親はあなたを一人でソコーリニキのリンクに行かせていたそうですね。1997年ごろのことです。90年代の半ばの安全ではない街のことです。どんな道のりだったのでしょうか。また、危険な状況はありませんでしたか?)
オトラドノエからソコーリニキまではだいたい1時間半かかりました。地下鉄だけでも行けたのですが、陸上交通が好きだったので、一部はバスか乗り合いタクシーで行くようにしていました。今となっては、ノスタルジーを感じながら思い出すことです。アドレナリンが出ていたのでしょう。大都市に一人だ!と。自分に何か危険が待ち受けているかもしれないと疑ったこともなかったのです。深刻なことからは運命が守ってくれました。道中で宿題をして、本を読んで、文学の課題を書いたりしていました。困難は多くありましたが、幸せな時代でした。
(モスクワのリンクで、ホームだと感じているものはありますか?)
もう長いこと行っていませんが、スポーツ宮殿「ソコーリニキ」が人生全体にわたるホームです。もし間違っていなければ、今は入札が行われています。撤去されるとか、再建されるとかの予定のようです。
そのリンクに行って氷上に立ったら、正直に言ってただただ涙ものでしょう。長い時間が経ったはずですが、今でも子供の頃の、更衣室の匂いを今でも覚えています。美味しいシュガーシナモンロールを売っていたで店がありました。こういった思い出は、一方で幸せで心配事のなかった、もう一方で辛い時代に私を返してくれます。私はなにか大富豪の家庭に生まれたわけではありません。必要なものはすべて揃っていましたが、母と祖母は私になけなしのものを与えてくれているとわかっていました。父は、私が2歳のときに亡くなっています。
金銭的な意味というだけではなく、費やした苦労や時間、体力といった意味で、家族の努力を少しでも償えたことを嬉しく思います。いずれにせよお金では幸せは買うことができません、それは違うもので計られるのです。
(そういった、自分のキャリアへの責任ある態度は、80年代に生まれたアスリートのある意味での時代の特徴であるように思えます。90年代の不確定性と貧困の時期にスポーツで成長していった人にとって。例を挙げるのに遠く離れる必要はありません。プルシェンコやヤグディン、トチミャニナ、スルツカヤなどたくさんの選手です。)
祖母はこう言っていました。才能は空腹から成長するものであると。祖母が何を言おうとしていたのかよくわかります。これは文字通りの物理的空腹のことではなく、温室ではない条件であるときに、人はより大きなもの、より良いものを目指すということです。少なくとも、ロシアではまさにこの通りに機能しています。アメリカや日本は、メンタリティも人生の法則も別です。
おそらく、この仮定に反論するアスリートもわずかにはいるでしょう。しかし彼らは例外であり、規則を外れている者たちです。そのおかげではなく、それに反して、ということです。
(若いフィギュアスケーターの親の大部分は現在、外部専門家によるレッスンがなければ、高いレベルに行くような成功は到達できないというルールを遵守しています。90年代は外部専門家レッスンに対する状況はいかがでしたか。)
そのときもありましたが、もっと少なかったです。親がお金を払えるときは私も時々通っていました。そういったものがなくても大丈夫かどうかについては、グループやコーチ、子供の意欲や考慮しなければいけない状況にすべてかかっています。とても要素の数が多いモデルです。パズルのピースがすべて揃っていれば、そう、外部専門家がいなくてもうまくいくでしょう。常に何か抜けている場合は、問題はおそらく外部専門家にあるわけではありません。意欲が足りなかったり練習好きでないかもしれません。一般的に、子供が練習好きであることは稀で、子供には教える必要があります。「嫌だ」けれど練習することをコーチが私に指導しきれたのは、かなり成熟した年齢になってからでした。そのことに対して、本当に感謝しています。その彼女は、すぐ隣で足踏みしているのに自分ではどうやってもたどり着けなかった結果へと背中を押してくれました。
私にはこれまでたくさんのコーチがいました。そして、人が別れるのは必ずしもどちらかが悪いからというわけではまったくありません。理由はたくさんあり得ます。私のコーチはみな素晴らしい専門家で、できる限りのことを私に注いでくれました。ここに私の力があると思います。自分のキャリアの中で見たことのないアプローチはないくらいです。氷上でスケーターを1分ほど見れば、誰が指導しているのかがすぐにわかることもあります。経験ある目が照合するのです。
(続く)
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