ちょっと前の記事(2020/1)ですが、選手生活を一時中断しているマリヤ・ソツコワの現状についてのインタビューがSport Expressに掲載されていましたので、前後編で紹介します。今回は後編です。
オリンピックで転倒したら、フィギュアスケートが人生の中の唯一のものではないとわかるでしょう
(前)キャリア中断と現状
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4/15発売 Ice Jewels(アイスジュエルズ)Vol.12~フィギュアスケート・氷上の宝石~羽生結弦スペシャルインタビュー(KAZIムック)
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ソツコワ:オリンピックで転倒したら、フィギュアスケートが人生の中の唯一のものではないとわかるでしょう
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ドミトリー・クズネツォフ / Sport-express / 2020/1/30
(続き)
ロシアの選手は世界選手権にもう限界で臨む
(欧州選手権はご覧になりましたか?)
主に男子を見ていました。ロシア選手や、モリス(クヴィテラシヴィリ)を嬉しく思いました。ジーマ・アリエフは、たぶんこんな滑りをしたことはなかったのではないでしょうか。オリンピック前の欧州選手権くらいでしょうか。アルトゥル(ダニエリャン)はデビューですぐにシニアの滑りを見せました。ジュニアのころから覚えていますが、いまはこんなにも成長したんですね!女子ですか?コストルナヤの滑りに喜ばないのは難しいでしょう。彼女の滑りは本当に女性らしいです。
(アレクサンドル・サマリンと一緒に練習されていましたが、ほぼすべてを跳べるロシア男子がなぜうまく行かないのでしょうか。)
サーシャ(サマリン)自身に聞いたほうがいいと思います。単に疲れていたのではないでしょうか。
全体として言えば、外国と比べてロシアではシーズンごとの負荷の配分がちょっと違っているのだと思います。オリンピック・シーズンのケイトリン・オズモンドをおぼえていますでしょうか。彼女はちょっとずつ滑り込んでいました。一方、多くのロシア選手にとってはナショナルが最重要大会で、そこをピークにします。国内の競争が激しいからです。ロシアではグランプリでもう全力を尽くして、みんなに安定性を証明しないと、ロシア選手権でメダルを獲るのがとても難しくなります。世界選手権に向けて選手はもう限界で臨みます。今年の欧州選手権での成功を経て、モントリオールでもすべてがうまくいくように祈っています。
例えば、オリンピック・シーズン、私は平昌に行くためにすべてを尽くしました。オリンピックは人生すべての目標です。しかし、ショートで転倒して自分にチャンスがなくなってしまうと、フィギュアスケートが自分の人生の中の唯一のものではないと認識するでしょう。私は大会としてのオリンピックや、オリンピックが残した跡はまったく好きではありません。大切なのは参加することだと言う人はみな、ごまかしています。そうはうまくいきません。ただ、私は全力をロシア選手権で尽くしてしまいました。アリーナ(ザギトワ)やジェーニャ(メドヴェデワ)はオリンピックでも燃えていました。彼女たちは二人とも素晴らしく、能力があります。
成長期はある。リンクに入るとき、フェンスが低くなったように思える。
(いま、フィギュアスケート界では「成長期」という言葉が大きな人気を博しています。女子フィギュアスケーターのすべての問題を一言で説明するものです。成長期はどこに現れるのか、そしてどのようにその期間を過ごしたのか教えていただけますか。)
ある時期まで、それは諦めてしまった女子の言い訳だと思っていました。しかし、その状況になって、成長期は存在し、実際のものものだとわかるのです。私は、成長期には2段階あるとも思います。最初は子供の成長期でだいたい16歳ごろ、2回めは18-19歳ごろです。シニア女子の成長期は最も残酷なものです。あちこちに投げ飛ばされるのですが、何が起こっているのかわからないのです。私は一晩で1cm背が伸びたことがあります。リンクに入るときに違和感があり、見るとフェンスが低くなっているのです!
(おそらく、恐ろしいことでしょう。)
はい。ただただ新しい身体なんです。もう、身長150cm体重40kg未満の小さな女の子ではなくなるのです。そしてこの身体にもう恐れおののき始め、自己防衛の本能が入ります。数回転んだだけでもうこれ以上転びたくなくなり、後で氷から自分を剥がせなくなるのではないかと思うのです。2回転ジャンプで練習をなんとかしようとして、「パンク」し始めるようになります。その年令になると、技術はもう修正できません。その意味で、スヴェトラーナ・ソコロフスカヤはただただ救世主で、できる限りすべてのことをしてくれて、私に必要なもすべてを与えてくれました。
ここでもう一つのことを理解する必要があります。15歳のときはまだ子どもで、スケートと野心はあるけれどもそれ以外何もありませんでした。20歳になると、違った興味や、周りの人たちも現れ、人生に新たな色彩が出てきます。練習もして、勉強もして、友人と時間も過ごさなければならないと思います。オリンピック前の合宿では、スカイプで家庭教師と勉強していましたし、教科書も持ってきていました。
(ロシアのネイサン・チェンの称号への挑戦ですね。)
しかしそれはとても過酷な取り組みです。私の家ではいつもそうでした。学校で問題があったら、フィギュアスケートはなくなるという。しかし、私は学校ではなくて、リンクに行きたかったのです。それで、良い教育を得られるよう、いつもいい成績を取れるよう勉強していました。
私はスケートのクレイジーなファンです。休息をとってから、それがわかりました。しかし、フィギュアスケート界には、すべてを勝利の祭壇に捧げなければならないという考えもあります。それで、私たち選手は、人生は大会や練習よりも豊かなものだということを忘れているのです。
(終わり)
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